You are here
Home > 奈良 > 天理・桜井・三輪 > 長谷山口神社

長谷山口神社

名称 長谷山口神社
住所 633-0112 奈良県桜井市初瀬4593
拝観時間
拝観料金
URL

当神社鎮座地は字手力雄とい い、景勝の地で、隠口(こもりく)の泊瀬山 長谷山の鎮護の神として延喜式 神名帳に見え、六所山口社の一 社にあたる古社であって、ご祭 神は大山祇神、天手力雄神、相 殿に豊受姫神を祀っている。
当社の由緒は極めて深く、霊 験あらたかにして、あまねく人々 の安泰繁栄と五穀豊饒の守護神 として崇拝されている。
祭礼は、正月、八月三十一日 風鎮祭、十二月九日例祭(俗に 霜月祭ともいう。)なお臨時の 祈祷を行っている。

当神社は長谷山の鎮の神として、大古より 大山祇神を祀っている。垂仁天皇の御代倭姫命を御杖として、この地域の「磯城厳橿の本」に 約八ヶ月天照大神をおまつりになった時、随神 としてこの地に天手力雄神を、また北の山の中 腹に豊秋津姫命を祀る二柱を鎮座せられた。 長谷寺縁起や其の他の古文書によると、この地 方は三神の里、初瀬川は神河、表参道の朱塗の橋 は、神河橋と書かれている。長谷寺験記の冒 頭には、長谷寺開山の時の天手力雄神の霊 現と功徳が述べられている。 聖武天皇の 天平二年(西歴七百三十年)の大和大税帳には 長谷山口の名が見え、当神社の古いことを物 語っている、延喜式内社である。
清和天皇の御代、貞観元年(西歴八百六十年) 九月八日の風雨祈願の奉幣使が当神社に 参拝されている。
中世には天手力雄明神を敬う明神講が うまれ明神信仰は今につづいている。
当神社本殿の建築につき慶長十八年(西歴 千六百十三年)の棟札が残っている。
近世になり、明治四十二年初瀬平田にあっ た豊受神社の豊受姫神(保食の神)を合祀し ている。当神社の鎮座は遠く古代にさかのぼ り、由緒は極めて深く、あまねく人々の安泰 繁栄と五穀豊饒の祈願所として広く知られ また氏子里人の守護神として崇敬されている。
本殿東の山上には磐境があり、ここより東約四百米の 南面山麓に横穴式古墳が残っている。

奈良県桜井市初瀬4593

Similar Posts