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雨宝院

名称 雨宝院
住所 602-8481 京都府京都市上京区上立売通浄福寺東入聖天町9-3
拝観時間
拝観料金
URL

北向山雨宝院と号する高野山真言宗の寺である。
もとは、大聖歓喜寺(だいしょうかんきじ)と呼ばれ、千本五辻(せんぼんいつつじ)にあったが、応仁の兵乱(1467)により堂宇は荒廃し、天正年間(1573~92)に当地に再興されたものといわれている。
本堂に安置する本尊聖天(歓喜天)像は、像頭人身六臂(ぴ)の等身像で、嵯峨天皇の御病平癒祈願に一刀三礼して造られたものと伝えられている。
観音堂に安置する千手観音立像は、藤原初期の重要な作風を示す優品であり、重要文化財に指定されている。
また、胎蔵界(たいぞうかい)を表わすあせかき弘法大師像も有名である。
境内東南にある手洗井戸は「染殿井(そめどのい)」といい、この水を染物に用いるとよく染まるといわれ、夏の旱魃(かんばつ)時でも涸(か)れることがないという。
本堂前の桜は「歓喜桜」といい、御室の八重桜と同種のもので、根元から八重の花が咲く。その隣にある松は「時雨(しぐれ)の松」といい、久邇宮(くにのみや)朝彦親王が当院参詣の折、にわか雨をこの松の下でしのがれたと伝えられている。

◆由緒
北向山(ほっこうさん)雨宝院と号する古義真言宗の寺で、「西陣の聖天さん」として親しまれている。
本堂に安置する本尊「聖天(しょうてん)(大聖(だいしょう)歓喜天(かんきてん))像」は、821年、弘法大師(空海上人)が嵯峨天皇の御悩平癒(へいゆ)を祈願して安置したものとされ、それが当寺の始まりと伝えられる。
観音堂に安置する千手観音立像は、重要文化財に指定されており、また、大師堂の本尊は汗をかくほど辛いことでも助けてくれるという「阿吽(あうん)あせかき弘法大師像」として知られている。
境内東南には、その水を染物に用いるとよく染まるとして有名な「染殿の井(そめどのい)」があり、夏の旱魃(かんばつ)時でも涸(か)れることがない。また、本堂前の「歓喜桜(かんきざくら)」は、御室の八重桜と同種のもので、根元から八重の花を咲かせる。その隣にある「時雨(しぐれ)の松」は、久邇宮朝彦(くにのみやともひこ)親王が当院参詣の折、その下でにわか雨をしのがれたと伝えられている。

◆染殿井
この井戸は「染殿井」(そめどのい)と呼ばれています。
染色に適した軟水で、西陣の染色業者達が「染物がよく染まる」と重宝したといわれています。
本隆寺の千代の井、首途八幡宮の桜井、個人宅にある安居井、鹿子井とともに「西陣五水」にも数えられています。染色には大量の水が必要ですので、狭い区域にこうして井戸が沢山ある事も西陣が染め物で栄えた理由のひとつだったのかもしれません。
ちなみに京都御所内にも清和天皇の母君が住まわれた「染殿」にちなむ「染殿井」という同じ名前の井戸があります。

京都府京都市上京区聖天町9-3

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