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雲龍院

名称 雲龍院
住所 605-0977 京都府京都市東山区泉涌寺山内町36
拝観時間 9:00~16:30
拝観料金 大人  400円  大学生 400円  高校生 400円  中学生 400円  小人  無料 写経(般若心経 1人 1500円 抹茶つき 15:30受付終了)  
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真言宗泉涌寺派の別格本山である。応安5年(1372)後光厳法皇が竹巌聖皐(ちくがんしょうこう)律師を招いて菩提所(ぼだいしょ)として建立されたのがこの寺のはじまり。
その後、歴代天皇の信仰があつく、たびたびこの寺に行幸されている。
特に後円融天皇(在位1371~82)は勅願として如法写経会をはじめられ、この法会は現在まで続いている。
寺は応仁の兵火によりいったん焼失したが、後柏原天皇より後土御門天皇使用の御殿の寄進をうけ、本堂として再建し、江戸時代には寺領も多く、来り学ぶ僧侶も多数にのぼり寺運はもっともさかんであった。
後光厳天皇をはじめ歴代天皇の尊牌をまつる霊明殿は明治初年に完成した。
宝物には、この寺の歴史にゆかりのふかい土佐光信筆の後円融天皇宸影(重要文化財)をはじめ歴代天皇の宸筆など文書、絵画多数を蔵している。
なお、裏山には、仁孝天皇二皇女、孝明天皇二皇女の陵墓が営まれている。

御寺泉涌寺本坊の南高所に位置する真言宗泉涌寺派別格本山雲龍院は、応安5年(1372)後光厳天皇の思召しによって、竹巌聖皐が聞いた寺で、皇子・後円融院はここに如法写経を興そうと寺領を寄せ、龍華殿を御建立した。また後小松、称光の両天皇もこの寺を崇敬され、四天皇崩御の後は後山に御分骨所が営まれ、北朝歴代の御尊牌が霊明殿に奉安されている。
徳川の初め中興の祖、如周宗師が雲龍、龍華両院を合併し、この事が後水尾天皇の叡聞に達し造営費御下賜の恩命に浴し写経の道場を現在の位置に再建される。寛永19年、後水尾天皇より写経会に要する仏具百余点の御寄付を賜りて立派に再興を遂げた。

以後、徳川の御代本願天皇の御国忌の折々に御下賜金を賜り、諸堂の修理を行い、この間鎮守堂、鐘楼等の建立がなされ東西に僧坊を設けて諸方より各宗の門徒集まり、研錆に励み多くの俊英を輩出した。
皇室との御縁故は天保14年以降、光格天皇の皇妃を始め、仁孝天皇両皇女、孝明天皇の両皇女を後山に葬り奉ってより再び深くなり玄関、方丈、勅使門を賜り次いで御尊牌を奉安する霊明殿は慶応2年に始まり、孝明天皇、明治天皇、英照皇太后の思し召しにより明治2年現存の様に再建された。
本堂龍華殿(重要文化財)安置の本尊・薬師三尊(薬師・日光・月光)や、また怒れる神の面影「走り大黒天」は極めて写実的な鎌倉時代の作である。

京都府京都市東山区泉涌寺山内町36

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