名称 | 善峯寺 |
住所 | 610-1133 京都府京都市西京区大原野小塩町1372 |
拝観時間 | 8:00~17:00 |
拝観料金 | 大人 500円 高校生 300円 小・中学生 200円 |
URL | http://www.yoshiminedera.com/ |
当山は天台宗単立寺院で、西国三十三所第20番札所であり、本尊千手観音を祀る。
平安中期の長元2年(1029)源算上人により開かれる。
長元7年(1034)後一条天皇より鎮護国家の勅願所と定められ、「良峯寺」の寺号が下賜される。建久3年(1192)後鳥羽天皇より現在の「善峯寺」の宸額が下賜される。
また白河天皇や後花園天皇により伽藍寄進整備がなされ、後嵯峨天皇や後小松天皇など皇室の御崇敬をうけた。
鎌倉時代には慈鎮和尚や証空上人が住職を勤め、また西山宮道覚入道親王や青蓮院門跡より多くの親王が住され、他にも多数の僧の入山により、室町時代には僧坊52に及んだが、応仁の乱により大半の坊が焼失した。
その後、江戸時代には徳川5代将軍綱吉の生母である桂昌院を大檀那として、現存の鐘楼・観音堂・護摩堂・鎮守社・薬師堂・経堂が復興されて、幾多の貴重な什物が寄進される。
現在の当山は所有地36万坪、境内地3万坪、多くの堂塔伽藍ならびに数百点にのぼる貴重な什物を受継いでいる。桜・あじさい・秋明菊・紅葉など季節の彩り、京都市内の眺望が特徴である。
特に多宝塔前にある、樹齢600年以上の五葉松は国指定天然記念物で「遊龍の松」と呼ばれる。
◆由緒
善峯寺は、西方浄土の思想から、比叡山の西の連山であるこの西山地方に、長元2年(1029)源算上人が開山された。
源算上人は、恵心僧都の高弟で、因幡国(鳥取)に生まれ、横川(比叡山)の恵心僧都に従い、顕密の蘊奥を極め47歳の時、当山に入られ小堂を結び、十一面千手観音の像を刻み本尊となし、仏法を興隆された。
長元7年9月には、後一条天皇より鎮護国家の勅願所と定められ良峰寺の寺号及び聖詠を賜わった。
「野をもすぎ 山路に向う雨の空 よしみねよりもはるる夕立」
以来歴代天皇の崇敬あつく、中世には青蓮院の宮(法親王)が代々住まわれ、西山の宮(門跡)と称された。
後花園天皇(102代)が伽藍を改築せられ、僧坊52の多きに及んだが、応仁の乱に兵火を免れず焦土と化した。
その後現在の本堂をはじめ諸堂が徳川5代将軍綱吉の母桂昌院の帰依によって再建された。
約3万坪の境内は京都が眼下に見える回遊式庭園となっており、境内には、天然記念物の「遊龍の松」があり、別名「松の寺」とも呼ばれている。西国三十三ヶ所巡りの第二十番札所でもある。
西国二十番札所・洛西一番札所
西山宮門跡 善峯寺 松の寺
(日本一の松)
神経痛・腰痛 入学成就の祈願所
当山は、長元2年(1029)源算上人の開山である。源算上人は、恵心僧都の高弟で、因幡(鳥取)に生まれ、横川(比叡山)の恵心僧都に従い、顕密の蘊奥を極め47歳の時、当山に入られ小堂を結び、十一面千手観音の像を刻み本尊となし、仏法を興隆された。長元7年9月、後一条天皇より、鎮護国家の勅願所と定められ良峰寺の寺号及び聖詠を賜わった。
゛野をもすぎ 山路に向う雨の空 よしみねよりもはるる夕立゛
以来歴朝の御崇敬篤く、長久3年、後朱雀天皇、洛東鷲尾寺より本尊仁弘法師作、千手観音像を当山に遷して本尊とし、先の十一面千手観音像を脇立とされた。
白河天皇、諸堂を建立し給い、その後慈鎮和尚善恵上人、その高徳を相嗣がれ、また青蓮院の宮様が代々当寺の住職を勤められた。即ち覚快、道覚、尊道、慈道、尊円、尊證、尊祐、尊真、尊寳、各法親王である。そして西山の宮(門跡)と称された。
後花園天皇(102代)が伽藍を改築せられ、僧坊52の多きに及んだが、応仁の乱に兵火を免れず焦土と化した。
その後徳川五代将軍の母堂桂昌院が当山を復旧され、二百石及び山林42万5千坪を寺領とし明治に至った。
重要文化財として、多宝塔・大元帥明王軸 その他文化財多数有り。
徳川五代将軍綱吉生母。桂昌院ゆかりの品約1200点
寺宝館特別公開期間
春期公開 4月~5月
秋期公開 10月土・日・祝-11月1日~11月30日
神経痛・腰痛に「ならないお守」ぜひお受け下さい。
●諸堂案内記
ア.山門 桁行4間 梁行2間半 元禄5年(1692)再建。(約300年前)
楼上の本尊文珠菩薩、両脇金剛力士は運慶の作。源頼朝公が寄進された。
イ.観音堂 桁行7間 梁行7間 元禄5年再建 本尊千手観世音菩薩は仁弘法師の作。
脇立千手観世音菩薩は源算上人の作。洛西三十三ヶ所第一番の本尊である。
洛西第一番の御詠歌。
゛わけのぼる むかうこころは よしみねの みのりをおえし たかきやまかげ゛
ウ.お香水(こうずい) 仏様にお供えするお水で、このお香水を頂けば、長寿のききめがあると伝えられている。
エ.つりがね堂 貞享2年(1685)建立(厄除けの鐘)桂昌院 五代将軍綱吉公厄除の為寄進せらる。
オ.護摩堂(ごまどう) 元禄5年建立 本尊不動明王五大尊を祠る。
カ.゛遊龍゛の松 昭和7年、天然記念物。五葉松 樹齢600年全長54mありましたが、平成6年松くい虫の為十五米余り切る。
安政4年(1857)花山前右大臣家厚公その名を゛遊龍゛と仰せられ、また標石は明治26年、鳥尾中将の揮毫である。゛日本一の松゛と人口に膾炙(かいしゃ)する。
キ.多宝塔 元和7年(1621)賢弘法師再建。重要文化財。
ク.経堂 宝永2年 建立祈願成就のえま堂なり。桂昌院、鉄眼の一切経を当堂に収める。
ケ.開山堂 元禄5年建立 源算上人を祠る。上人117歳像である。長寿を祈願せられたい。
コ.宝篋印塔 鎌倉時代 慈鎮和尚、伝教大師筆の法華経を収める。
サ.桂昌院廟所 宝永2年6月22日寿79歳薨去。遺髪を納める。
シ.十三仏堂 元禄5年建立 当山守護の神を祠る。
ス.釈迦堂 明治18年建立 本尊石仏釈迦如来。源算上人作。
明治初年までは、釈迦岳(海抜630m)に安置されたが、信者の参詣日々に増加して、明治13年に下山を乞い、同18年に当堂が建立された。
セ.薬湯場 当山の百草湯にして、神経痛、腰痛は勿論諸病に特効があり、夏季(5・6・7・8・9・10月)第2日曜日の8時より3時まで入浴随意である。
ソ.けいしょう殿 花山法皇西国中興一千年を記念して、昭和62年建立。
タ.献歌碑 桂昌院筆。
゛たらちをの 願いをこめし 寺なれば われも忘れじ 南無薬師仏゛
チ.薬師堂 桂昌院の両親祈念せられし薬師さまにして、元禄14年建立。
ツ.蓮華寿院庭 昔・青蓮院の宮々が代々、当地で善峯寺の住職された所にして、西山宮又は、御所屋敷と称し、蓮華寿院と云う。
テ.青蓮院の宮御廟 覚快法親王以下代々宮の御廟所なり。
ト.青蓮の滝 滝の竿石は、京都青蓮院門跡より拝受せしものなり。
ナ.阿弥陀堂 寛文13年(1673)建立 本尊宝冠阿弥陀如来で常行三昧道場として常行堂ともいう。堂内には信者の位牌を安置。
ニ.枝垂れ桜ともみじ 桂昌院お手植え。樹齢300年。桂昌院がこよなくこの寺を思い、 ゛春は花 秋はもみじの むすび木は この世の幸 めでたかりけり゛と詠まれた。