名称 | 十輪院 |
住所 | 630-8312 奈良県奈良市十輪院町27 |
拝観時間 | |
拝観料金 | |
URL | http://www3.pref.nara.jp/kankou/1107.htm |
優曇華や石龕きよく立つ佛 秋桜子
十輪院は元興寺旧境内の南東隅に位置します。
奈良時代の僧で書道の大家、朝野宿禰魚養(あさのすくねなかい)の開基といわれています。
本堂(国宝・鎌倉時代)は軒や床が低く、当時の住宅を偲ばせる建造物です。
十輪院の本堂の中には本尊である地蔵菩薩を中心にした石仏龕(せきぶつがん・重文・鎌倉時代)を祀ります。
そこには釈迦如来、弥勒菩薩の諸仏のほか、十王、仁王、四天王や北斗曼荼羅の諸尊などが刻まれ、非常に珍しい構成を見せています。
境内には、魚養塚、十三重石塔、興福寺曼陀羅石など多数の石仏が点在しています。
◆由緒
十輪院は元興寺旧境内の南東隅に位置し、静かな奈良町の中にあります。
寺伝によりますと、当山は元正天皇(715-724)の勅願寺で、元興寺の一子院といわれています。また、右大臣吉備真備の長男・朝野宿禰魚養(あさのすくねなかい)の開基とも伝えられています。
沿革は明らかではありませんが、鎌倉時代「沙石集」(1283)には本尊石造地蔵菩薩を「霊験あらたなる地蔵」として取り上げられています。
室町時代には寺領三百石、境内1万坪の広さがあったようですが、兵乱等により、多くの寺宝が失われました。
その後江戸期には徳川幕府の庇護を受け、寺領も五拾石を賜り、諸堂の修理がなされまし
た。
明治時代の廃仏毀釈でも大きな打撃を受けましたが、現在、当山の初期の様子を伝えるものとして、本尊の石仏籠、本堂、南門、十三重石塔、不動明王二童子立像、それに校倉造りの経蔵(国所有)などが残っています。
近年、昭和28年本堂の解体修理から、平成8年防災施設の完成により、諸堂宇が整備され、境内は寺観を整えることができました。
◆本堂(国宝)
間口11.20m奥行8.47m高さ5.68m寄棟造瓦葺
後方の石仏龕を拝むための礼堂として建立されました。正面に一間通りの広縁を設け、垂木を用いず、厚板と特異な組物で軒を支えています。こじんまりした内部は一本の柱を外陣・内陣に使い分け、低い天井は簡素な棹縁天井となっています。蔀戸が用いられ、軒及び床を低くおさえ、屋根の反りを少なくするなど、当時の住宅をしのばせる要素が随所にみられます。蛙股や木鼻、正面の柱などは創建当時のものです。
◆石仏龕(がん)(重要文化財)
間口2.68m奥行2.45m高さ2.42m花崗岩製
寺伝では、弘仁年間(810~823)に弘法大師が石造地蔵菩薩を造立された、とあります。龕中央の奥に本尊地蔵菩薩、その左右に釈迦如来、弥勒菩薩を浮き彫りで表わしています。そのほか、仁王、聖観音、不動明王、十王、四天王、五輪塔、あるいは観音・勢至菩薩の種子などが地蔵菩薩のまわりに巡らされ、極楽往生を願う地蔵世界を具現しています。龕前には死者の身骨や棺を安置するための引導石が置かれます。
また龕の上部、左右には北斗七星、九曜、十二宮、二十八宿の星座を梵字で陰刻し、天災消除、息災延命を願う現世利益の信仰も窺い知ることができます。引導石の左右には南都仏教に伝統的な「金光明最勝王経」「妙法蓮華経」の経幢が立てられています。この石仏龕は当時の南都仏教の教義を基盤に民間信仰の影響を受けて製作されたもので、非常にめずらしい構成を示しています。大陸的な印象を受ける技法で彫刻されていることも注目されます。