名称 | 建長寺 |
住所 | 神奈川県鎌倉市山ノ内8 |
拝観時間 | |
拝観料金 | |
URL |
禅宗では南宋の制度に従って鎌倉・京都に五山制度を設けた。
建長寺を第一位、円覚寺を第二位、寿福寺を第三位、浄智寺を第四位、浄妙寺を第五位とする現在の序列は1386年に定められた。
臨済宗の教えは「無位の真人(むにんのしんにん)」の言葉によって語られる。「真実の自己」の意味で、師弟間で行われる激しい禅問答、公案(こうあん)や座禅は、真実の自己へ導くための行である。
禅宗寺院は建物の配置にも特徴がある。天台宗や真言宗の密教系の寺院は山に建立されたために、地形に合わせて建物がバラバラに配置されているが、禅宗では山門、仏殿、法堂などの主要な建物を縦に直列させている。
なお、禅宗寺院では大門を総門と呼び、中門を山門または三門という。総門より三門の方が大きな造りで、多くの門の中で最も格式が高い二重門である。三門とは、空(くう)、無相(むそう)、無作(むさ)の三界の解脱(げだつ)門を指し、迷いからの解放を目指す者がくぐる門である。
◆由緒
建長寺は巨福山建長興国禅寺といい、鎌倉五山の第一位とされる臨済宗建長寺派の大本山です。
今から約750年前の建長5年(1253)に後深草天皇の勅命で鎌倉幕府五代執権北条時頼(1227~63)が建立したわが国最初の禅寺です。
建長寺の開山(創始者)蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)(1213~78)は、中国の高僧無明慧性(むみょうえしょう)に学び、寛元4年(1246)33歳の時に来日し、九州、京都を経た後、鎌倉に入り北条時頼に乞われて建長寺に迎えられました。蘭渓道隆は、中国宋時代の純粋で厳しい禅風をそのまま導入し、一時は千人を超える修行僧を指導しました。その教えは、現在国宝として寺に残る自筆の「法語規則」に見ることができます。
本来の自分を失えば、すべての事柄も見失ってしまう。こころの真髄を見つけれは、人生の道もみえてくる。
◆『法語規則』要旨
蘭渓道降はその後、京都の建仁寺等にも移り、弘安2年(1278)に再び、建長寺へ帰り、66歳で亡くなり、後宇多天皇より大覚禅師という禅師号を賜りました。これは日本で最初の禅帥号です。
北条時頼は、建長寺を建立した後も、大覚禅師や、二代目住職兀菴普寧(ごったんふねい)に師事し、禅を深く信仰しました。また、時の権力者として建長寺を経済的にも支え、全国に禅宗を広め、自らも出家して法名を覚了房道崇(がくりょうぼうどうすう)といいました。
◆伽藍
創建当時の伽藍配置は、中国宋時代の禅林風を摸したもので、総門・三門・仏殿・法堂などの主要な7つの建物がほぼ一直線にならび、49の塔頭(小寺院)を有するという大陸的で荘厳なものでした。その後、14、15世紀に起こった数度の火災により、その多くが焼失してしまいました。
江戸時代に入り、高名な沢庵和尚の進言などによって、ようやく再建・復興し、現在の主要な建物の他に搭頭十余院を有する壮観をなしています。
◆総門
寺の入口の門で、天明3年(1783)に建立され、京都の槃舟三昧院(はんしゅうさんまいいん)より昭和18年に移築され、別名を巨福門といいます。額の「巨福山」は建長寺第十代住職一山一寧(いちさんいちねい)の筆によるもので、巨の字に筆勢による一点を加え巨とし、百貫の価をそえたものといい、世に百貫点といいます。
◆三門 (県重要文化財)
三解脱門の略で、楼上に五百羅漢などを安置しその下を通ると心が清浄になるといわれます。安永4年(1775)に、当時の住職万拙(ばんせつ)が関東一円から浄財を募って再建したもので、別名「狸の三門」といわれています。これは三門建立の折、この寺で育てられた古狸がその恩義に報いようと、僧侶の姿に身を変じて住職を助けて大活躍したという言い伝えによります。
◆梵鐘(国宝)
建長7年(1255)に、大和権守物部重光が鋳造したもので、大覚禅師による銘文が浮彫りにされている名鐘です。
◆柏槇(びゃくしん)(名勝史跡・新日本名木百選)
仏殿の前栽として敷石道の両側に7本の柏槇の古木があります。これは宋風の前庭様式を踏襲したもので、古木の中には幹回りが7mのものもあり、創建当時から750年もの歳月と幾度かの火災を生きぬいた貴重なものです。大覚禅師お手植と言われています。
◆仏殿・唐門(重要文化財)
当寺の本尊地蔵菩薩をお祀りし、儀式を行うお堂で、正保4年(1647)に、東京・芝の増上寺より徳川二代将軍秀忠の夫人、崇源院(すうげんいん)の霊屋を移築したものです。
唐門は、屋根が唐破風(反曲した曲線状の破風)になっている門のことで、中国式という意味ではありません。元は、仏殿の前の中門で勅使の通る門です。
◆法堂 (県重要文化財)
法堂とは住職が仏に代わって須弥壇上で説法をするためのお堂で、拈華堂(ねんげどう)とも言います。中央奥に千手観音像が安置され、儀式法要を行います。文化11年(1814)に再建され、関東では最大の法堂です。
◆庭園 (名勝史跡)
方丈(龍王殿)の背後にあり、夢窓国師の作とされる鎌倉 建
長寺池(さんぺきいけ)(心字形の池)を中心とした禅寺を象徴する庭園です。江戸時代に改修され、池の中に亀をおいて橋をかけ、池辺には石、松、槇、つつじ等を配した瀟洒な名園です。
◆半僧坊
境内奥の山の中腹に、建長寺の鎮守・半僧坊大権現が祀られています。明治23年(1890)に、当時の住職霄貫道(おおぞらかんどう)が静岡県奥山方広寺より勧請したもので、霊験あらたかで参詣者が絶えません。毎年正月、5月、9月に大祭祈祷会を行っています。第2次世界大戦で供出されていた天狗像(半僧坊大権現のお供)も昭和55年に復元されました。
◆禅堂
大覚禅師が中国より伝えた純粋で厳しい禅風は、現在も綿々と受け継がれ、日夜厳しい修行が行われています。一般には未公開です。