名称 | 賀茂別雷神社 |
住所 | 603-8047 京都府京都市北区上賀茂本山339 |
拝観時間 | 10:00~16:00 |
拝観料金 | 無料 国宝・本殿権殿特別参拝は500円 時間 10:00~16:00(土日祝10:00~16:30) |
URL | http://www.kamigamojinja.jp/ |
上古この付近一帯に繁栄した賀茂氏が創祀した京都最古の神社である。ご祭神として賀茂 別雷神を祀る。賀茂伝説によれば賀茂氏の祖神建角身命の女玉依姫命(たまよりひめ)( ともに下鴨神社に奉祀)が瀬見の小川(賀茂川)を流れ下る丹塗の矢に感じて、別雷神( わけいかづちのかみ・大自然を支配する神)が出現したと伝える。
平安奠都(てんと)(794)とともに賀茂別雷神に対する信仰は高まり、特に五穀豊穣 の神の雷神を祭ることから農民の信仰を集め、全国雷神の中心となった。謡曲「賀茂」は この縁起を叙べて、五穀豊穣国土守護の神徳を讃えた曲である。皇室でも嵯峨天皇の弘仁元年(810)以来、内親王が斎王として奉仕される慣わしとなり、山城国一ノ宮とよばれて伊勢神宮と並ぶ崇敬を捧げられた。
社殿は21年毎に造営される慣例であったが中世以来中絶した。本殿(国宝)は流造神殿 の典型で権殿(国宝)とともに三間社流造、桧皮葺で文久3年(1863)の建築である。 この外社域にある中門、幣殿など40棟の建物の多くは寛永5年(1628)の造替で重 要文化財に指定されている。
毎年5月15日の賀茂祭は三大勅祭の第一で俗に葵祭の名で親しまれており、当日は平安 朝の古式ゆかしい行列も都大路に繰りひろげられる。さらに5月5日の競馬会(くらべう まく)、5月12日御阿礼神事など古式の面影を豊かに伝える行事が四季を通じて行われる。
◆葵祭
賀茂祭(葵祭) 例祭五月十五日
欽明天皇の御代(六世紀)天下風雨順ならず、庶民大いに嘆いたので、勅してうらなわしめ給うたところ、賀茂大神の崇りであると判った。そこで馬に鈴をかけ、走らせ、祭祀を行った結果、五穀成熟して天下泰平となった。このことにより、毎年国家的な行事として祭が行われるようになった。これが賀茂祭の起源である。
神前に葵を献じ、全部の社殿には葵を飾り、奉仕員全て葵を着けるので、葵祭ともいう。 平安時代は殊に盛んであって、「まつり」と言えば葵祭を指すほどであった。現今は五月 十五日、皇室より勅使を御差遣になり、旧儀により行われる。その行列は近衛使代を中心 に牛車、花傘、斎王列など総勢五百名、列の長さは八百メートルに及ぶ。
先づ、午前京都御所を出発、下鴨神社にて祭儀を行った後、再び行粧を整えて、賀茂川の堤を北上し、午後当神社に到着。勅使の御祭文奏上、牽馬、東遊、走馬等の儀が約二時間にわたり、古儀のまま行われる。清らかな流れと、新緑の境内で行われるこの祭儀の有様は、さながら王朝絵巻を見るが如くである。
◆立砂(たてすな)
盛砂(もりずな)ともいう。「たつ」とは神様の御出現に由来した言葉である。神代の昔、 御祭神が最初に降臨になったのは社後2kmにある円錐形の美しい形をした神山(こうや ま)である。
立砂はこの神山にちなんだもので一種の神籬(ひもろぎ・神様がおりられる憑代(よりし ろ))である。
鬼門・裏鬼門にお砂をまき清めるのはこの立砂の信仰が起源である。 つまり清めのお砂の始まりである。
また、葵祭に先立ち、斉王代以下女人列奉仕者四十数名の、お清めの儀式である斎王代御禊の儀が、御手洗川で行われる。十二単の斎王代、各種女官のあでやかな正装姿は、平安 朝文化の粋である。下鴨神社と隔年交替で行われる。