御香宮神社

平安期、境内から病気に効く香水がわき出たので清和天皇からこの名を賜ったという。 桃山期の特色ある建築物のうち表門や極彩色彫刻の本殿は重文。 神功皇后ほかを祀り、豊臣秀吉は伏見城の守り神とした。 書院の庭は、小堀遠州ゆかりの石庭。鳥羽伏見の戦いでは薩軍の屯所に。 10月上旬の9日間におこなわれる神幸祭は「伏見祭」といわれ伏見随一の祭。 獅子一対・神輿3基、武者行列のほか、多数の氏子が出仕しての行列がある。 1日目、8日目夕方から趣向をこらした大小の花傘が氏子各町から「アラウンヨイヨイ…」のかけ声で参加し、夜遅くまでにぎわう。

醍醐寺

真言宗醍醐派の総本山である。 貞観16年(874)聖宝(しょうぼう)が、笠取山(上醍醐)に登って如意輪堂(にょいりんどう)、准胝堂(じゅんていどう)、五大堂を建立したのが当寺の起りで、延喜7年(907)醍醐天皇はこの寺を勅願寺とし、下醍醐に伽藍(がらん)を造営し、その興隆をみるにいたった。 4551

伏見稲荷大社

ご鎮座は和銅4年(711)とされ、全国各地に祀られている稲荷神社の総本宮。 古くは食物・蚕桑あるいは諸願成就の神、中世から近世にかけて商業神・屋敷神へとご神徳も拡大。 本殿(重文)は明応8年(1499)の再興。 重要文化財の権殿のほか重要文化財の摂末社も多い。 稲荷山の神蹟を巡拝する‘お山巡り’は約4キロ、参道にある数千本の鳥居は壮観。 2月初午の日はご鎮座ゆかりの日として古来、民衆が群参する。 4月20日に近い日曜日(神幸祭)から5月3日(還幸祭)は「稲荷祭」。 平安朝からの伝統で同社最大の祭典。 5基の神輿が、南区西九条のお旅所に渡御し、還幸祭に京都駅周辺~松原通まで拡がる氏子区域を巡幸して帰社する。 この神輿は全国でも優美華麗で、且つ重いものとして知られる。 11月8日は「火焚祭」で、秋の収穫のあと、春に迎えた穀霊を再び山に送る神事。 十数万本の火焚串を火床で焚き上げ、神恩に奉謝すると共に家内安全・罪障消滅などを祈願。

東福寺 臥雲橋

東福寺の渓谷に架けれた3つの橋は、「東福寺三名橋」と呼ばれる。 上流から偃月橋・通天橋・臥雲橋。 偃月橋は、単層切妻造・桟瓦葺きの木造橋廊。1603年(慶長8年)の建築で重要文化財。「日本百名橋」の一つ。 通天橋は、仏殿・方丈から開山堂(常楽庵)に至る渓谷「洗玉澗」(せんぎょくかん)に架けられた橋廊。 1380年(天授6年)に春屋妙葩(しゅんおくみょうは:普明国師)が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたと伝えられる。 南宋径山(きんざん)の橋を模したもので「通天」と名付けられた。 現在の通天橋は、1959年(昭和34年)に台風で倒壊した後、1961年(昭和36年)に再建されたもの。 ここからの紅葉と新緑は絶景。 黄金色に染まる三ツ葉楓は開山の聖一国師が宋から伝えた唐楓といわれている。

大雲院

東山区祇園町南側。浄土宗の単立寺院。 天正年間(1573-92)織田信長・信忠親子の菩提を弔うため、父子の知遇を得ていた貞安上人が、信忠の法名をもって二条烏丸に創建。 のち寺町四条に移転したが、天明・元治の大火で焼失。 明治初期に復興、1973年(昭和48)現在地に移転した。 本堂の背後に山鉾を模した祇園閣がそびえる。 信長父子供養塔がある。 ◆祇園閣 1928年(昭和3年)に建築された3階建ての建物で、大倉財閥の設立者である大倉喜八郎が別邸とし建てた別邸「真葛荘」の一部である。 屋根は銅板葺きであるが、これは大倉が金閣、銀閣に次ぐ銅閣として作ったためである。 祇園祭の鉾を模したもので、設計は伊東忠太。 1997年(平成9年)12月12日、国の登録有形文化財に登録された。

法観寺 (八坂の搭)

東山区八坂通下河町東入。 通称「八坂の塔」と呼ぶ。 飛鳥時代、八坂氏の氏寺として創建された古刹。 高さ46メートルの五重塔(重文)は、1440年(永亨12)足利義教の再建。他に薬師堂、太子堂が残る。 塔は東山の景観に欠かすことのできない存在。臨済宗建仁寺派有料。 ◆由緒 霊応山(れいおうざん)と号し、臨済宗建仁寺派に属する。  寺伝によれば、聖徳太子が如意輪観音の夢のお告げにより建立し、往時は延喜式七ヶ寺のひとつに数えられ隆盛を極めたが、現在は八坂の塔(五重塔)と太子堂、薬師堂の二宇を残すのみである。  八坂の塔は本瓦葺5層、方6メートル、高さ46メートルの純然たる和様建築で、白鳳時代の建築様式を今に伝えるものである。創建以来度々災火により焼失したが、その都度再建され、現在の塔は永享12年(1440)に足利義教(よしのり)によって再興されたものである。塔内には本尊五智如来像5体(大日、釈迦、阿しゅく(あしゅく)、宝生、弥陀)を安置し、須弥壇(しゅみだん)の下には古い松香石製の大きい中心礎石があり、中央には舎利器を納めた3重の凹孔が残っている。  寺宝として、塔を中心に当時の社寺を描いた紙本著色八坂塔絵図のほか、足利義教画像、法観雑記など貴重な文化財を蔵している。

恵美須神社

鎌倉期、栄西禅師が建仁寺建立にあたってその鎮守として創建。七福神の一つ‘ゑびす神’(八代言代主大神)を祀る。 商売繁盛、家運隆盛で大衆の信仰を集めている。 1月8日~12日の‘十日ゑびす(初ゑびす)大祭’は参詣者で大にぎわいとなる。 又、旅行安全でも知られている。

地主神社

「えんむすびの神さま」として知られる地主神社は三年坂から歩いて5分、清水の舞台を出ると、すぐ左手にあって、修学旅行生や、えんむすびの祈願に訪れる参拝者で年中賑わっている。 特に境内にある「恋占いの石」は、若い男女はもとより、海外からの参拝者にまでたいへんな人気である。 創建期は不詳で神代(日本の建国以前)とされ京都でも最古の歴史がある。本殿・拝殿・総門・境内地が国の重要文化財指定で、世界遺産に登録されている。 1633年(寛永10)徳川家光が再建した本殿は極彩色の華麗な建物で入母屋造りと権現造りを折衷したもので、双堂という奈良時代の様式を今に伝える。 境内は桜の名所で知られ謡曲「田村」「熊野」にもうたわれた名桜「地主桜」がある。 ◆由緒 清水八坂一帯の産土神(うぶすなかみ)で、元は地主権現とよばれ、明治維新後に現在の名に改めた。祭神として、大国主命(おおくにぬしのみこと)とその父母神素戔鳴尊(すさのおのみこと)・櫛名田姫(くしなだひめ)ら五柱を祀る。  創建は奈良時代以前であり、平安遷都と共に皇室をはじめ広く信仰を集めた。天禄3年(972)の臨時祭には、円融天皇が行幸し、その後も歴代天皇の行幸が伝えられている。  現在の社殿は、清水寺本堂と同様寛永年間(1624~1644)の徳川家光による再建で、桃山時代の様式による華麗な建物である。本殿、拝殿、総門はいずれも重要文化財に指定されており、拝殿天井の龍の画は狩野元信の筆と伝えられている。境内には桜樹が多く、「地主(じしゅ)の桜」と呼ばれ、古くから桜の名所として有名で、謡曲「田村」、「熊野(ゆや)」、小歌集「閑吟集」などにもしばしば登場する。  また、縁結びの神として広く崇敬をあつめている。 ◆恋占いの石 ご本殿前の左右にある守護石で両目をとじて反対側の石にたどりつくことができれば恋の願いがかなうという。 一度でできれば願いも早くかない、できなければ願いがかなうのも遅れるという。また友人などのアドバイスをうけると願いを成就するにも人の助けがいるという。

安井金比羅宮

祭神として崇徳(すとく)天皇、大物主神(おおものぬしのかみ)、源頼政(みなもとのよりまさ)の三神を祀る。 社伝によれば、保元の乱(1156)に敗れて讃岐(香川県)で崩じた崇徳上皇の霊を慰めるため、建治年間(1275~1277)に大円法師が建立した光明院観勝寺が当社の起こりといわれている。 その後、観勝寺は応仁の兵火により荒廃し、元禄8年(1695)太秦(うずまさ)安井(右京区)にあった蓮華光院が当地に移建され、その鎮守として、崇徳天皇に加えて、讃岐金刀比羅宮より勧請した大物主神と源頼政を祀ったことから、安井の金比羅さんの名で知られるようになった。 本殿東の絵馬館には、当社に奉納された大小様々な絵馬が陳列されており、江戸時代の画家山口素絢(そけん)等の作品も含まれている。 また、境内にある「久志(くし)塚」は、古い櫛の供養のために築かれた塚で、毎年9月の第四月曜日に櫛祭(くしまつり)が行われる。 ◆悪い縁を切る 縁切り縁結びの碑(いし) 当宮の主祭神崇徳天皇自ら国家安泰を祈られもろもろ一切を断って祈願されると云う故事にに習い江戸時代より断ちもの祈願のならわし続けられ縁切り祈願が生まれました。旧きを脱皮し常に新しい新鮮な自分を甦がえらせる縁切り、もろもろの祈願を成就にみちびく縁結び共に歓迎。これは神道本来の祓いに通じる道と覚えます。 上部からの亀裂をつたって神の力は中央の円形に注がれ、夫々願いを素直に神札に記し、円形に向かって表から裏に(縁切り)裏から表に(縁結び)それぞれ心に祈りを込めてくぐりぬけて下さい。くぐりぬけられた後に、神札を石面に貼ってください当宮では毎朝拝時に必ずこの碑にお祓いを行いお清めをつづけて参ります。