手向山八幡宮

この手向山八幡宮は、奈良時代聖武天皇が大仏の造営をされたとき、これに協力のため749年(天平勝宝元年)に宇佐から八幡宮を迎え大仏殿の近く鏡池(八幡池)の東側に鎮座したのに始まる。そして以後、東大寺を鎮守したのである。 鎌倉時代の1250(建長2年)に北条時頼によって現在地に遷座した。 4975

東大寺 二月堂修二会 (お水取り)

「お水取り」として知られている東大寺の修二会の本行は、かつては旧暦2月1日から15日まで行われてきたが、今日では新暦の3月1日から14日までの2週間行われる。 二月堂の本尊十一面観音に、練行衆と呼ばれる精進潔斎した行者がみずからの過去の罪障を懺悔し、その功徳により興隆仏法、天下泰安、万民豊楽、五穀豊穣などを祈る法要行事が主体である。 修二会と呼ばれるようになったのは平安時代で、奈良時代には十一面悔過法(じゅういちめんけかほう)と呼ばれ、これが今も正式名称となっている。 関西では「お松明(おたいまつ)」と呼ばれることが多い。

東大寺南大門

◆東大寺南大門(国宝)五間三戸二重門入母屋造、木造、本瓦葺、鎌倉時代 東大寺の正門で、東大寺伽藍の大半が治承4年(1180)の平重衝の兵火に罹って、焼失した。後に行われた復興造営の一つとして建てられた。 大勧進の職に就いて復興造営の総指揮を執った俊乗房重源上人が、宋朝建築の特色を採り入れて編み出した大仏様の建物で正治元年(1199)6月に上棟されており、その後数年を経ずして落成したと考えられる。 門内に安置されている木像金剛力士(仁王)像は運慶、快慶、定覚、湛慶等20名の慶派の仏師たちが建仁3年(1203)に僅か69日間で造り上げたものである。北向に安置されている一対の獅子像は鎌倉復興造営に参画した宋人の石工達が建久七年(1196)に作ったものである。

氷室神社

8世紀、吉城(よしき)川上流御蓋山麓の春日野に造られた氷室(氷の貯蔵庫)や氷池(製氷施設)に、氷の神を祀ったのが始まり。 のちに現在地に移築された。冷蔵・製氷業者の信仰が篤く、毎年5月1日には献氷祭が催される。 その際、神前には重さ135kg、高さ1mの氷柱や花氷が奉納される。春は境内を彩るしだれ桜が印象的。