推古天皇二十年(612)に、用明天皇の皇子麻呂子親王が御兄聖徳太子の教によって、河内国交野郡山田郷に萬法蔵院禅林寺を草創されたのを、七十年程後に親王の孫にあたる当麻国見が、役行者練行の地である現寺地に遷造し、 5049
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壷阪寺(南法華寺)
橿原神宮
東大寺 三昧堂 (四月堂)
手向山八幡宮
東大寺鐘楼
東大寺 二月堂修二会 (お水取り)
東大寺法華堂(三月堂)
東大寺南大門
◆東大寺南大門(国宝)五間三戸二重門入母屋造、木造、本瓦葺、鎌倉時代 東大寺の正門で、東大寺伽藍の大半が治承4年(1180)の平重衝の兵火に罹って、焼失した。後に行われた復興造営の一つとして建てられた。 大勧進の職に就いて復興造営の総指揮を執った俊乗房重源上人が、宋朝建築の特色を採り入れて編み出した大仏様の建物で正治元年(1199)6月に上棟されており、その後数年を経ずして落成したと考えられる。 門内に安置されている木像金剛力士(仁王)像は運慶、快慶、定覚、湛慶等20名の慶派の仏師たちが建仁3年(1203)に僅か69日間で造り上げたものである。北向に安置されている一対の獅子像は鎌倉復興造営に参画した宋人の石工達が建久七年(1196)に作ったものである。