江島神社

当神社は三宮から成り 奥津宮に多紀理毘売命 中津宮に市寸島比売命 邊津宮に田寸津比売命をお祈りする 社伝の「江島縁起」等は欽明天皇13年(552年)の創建と伝える 「吾妻鏡」には寿永元年(1182)源頼朝は祈願のため文覚上人をしてお岩屋に弁財天を勧請 江島明神と称えて参詣し幕府の祈願所とした 以降朝武の信仰を集めたが江戸時代に至り庶民の間に信仰が広がり江島詣が盛んとなり江島寺 金亀山 与願寺とも称し岩本院上之坊 下之坊があった 徳川家康はお岩屋に詣で社領を寄進している 明治初年の神仏分離により江島神社と号した 当社は江島弁財天として天下に名高く日本三大弁財天の一つであり財宝招福 学芸上達 夫婦和合 交通安全等の神として広く信仰されている 弁財天御尊像は邊津宮境内奉安殿にお礼りしてある ◆江ノ島弁財天由来 江島神社は今を去る千四百有余年の昔、欽明天皇の御代に、風光明媚の霊島に創祀せられ、歴代の朝廷並びに武門源頼朝、秀吉、家康公を始め天下衆人の崇敬極めて厚く、安芸の宮島、近江の竹生島と共に日本三大弁財天の一つとして名高く、開運、除災、財宝、音楽、芸能上達の守護神として崇められた。 ◆御祭神は、三人姉妹の女神様 社伝によると、欽明天皇十三年(552年)に、「欽明天皇の御宇、神宣により詔して宮を島南の竜穴に建てられ 一歳二度の祭祀この時に始まる」とあります。これは、欽明天皇の勅命で、島の洞窟(岩屋)に神様を祀ったのが、江島神社の始まりであることが記されてます。欽明天皇は、聖徳太子よりも少し前の時代の天皇で、この頃、日本では仏教が公伝され、日本固有の神道と外来の仏教が共に大事にされていました。 八臂(はっぴ)弁財天は又彩色弁財天とも云い、源頼朝は文覚上人に命じて藤原秀衡調伏を祈願したと伝えられ、鎌倉初期の作で、檜の寄せ木の八つのひじの八臂弁財天像としては最も優れ、現在県の重要文化財となっている。 妙音弁財天は俗に裸弁財天と云われ、その名のように全裸体の木像で、丈五十四糎、琵琶を抱えた座像で鎌倉期の名作である。