この地には、九百数十年前に一條天皇の母后東三條女院離宮があった。女院はこの離宮に比叡山の常行堂に安置されていた阿弥陀仏を移して寺院とし、真如堂を創建された。
そして、同じく比叡山の守護神である日吉の神を山王権現としてこの地に勧請されたのがこの日吉神社の草創であったようである。
真如堂は応仁の乱で荒廃し、諸方を転々としたが、この神社は永くこの地に祀られ、吉田家とも相謀り祭事も維持していた。 元禄6年(1693)現在の真如堂が再興され、この地も旧態に復して、当社は地主の神として広く尊崇を集めている。