聖光寺

錦綾山(きんりょうざん)と号し、浄土宗鎮西派に属する寺である。 寺伝によれば、当地には平安時代後期、仏師康慶(こうけい)の居宅があり、その後園に浄土宗第二祖聖光房弁長(しょうこうぼうべんちょう)(鎮西上人)の草庵があったといわれている。 弁長は、ここから8年間、法然上人の許に通い、浄土宗の法灯を受け継いだと伝えられている。 当寺は元久元年(1204)、弁長の帰郷に際し、康慶がその別離を悲しみ、弁長自身の真影をこの草庵に奉安し、聖光庵と名付けたことに始まるといわれている。 本堂には、鎌倉時代の作と伝えられる嵯峨式釈迦如来立像を安置し、寺宝としては清海曼荼羅(せいかいまんだら)、当麻曼荼羅(たいままんだら)の二幅を蔵している。 また、境内には大石良雄の母と、綿屋善右衛門好時(わたやぜんえもんよしとき)(天野屋利兵衛(あまのやりへい))の墓がある。

火除天満宮

当社は天正7年(1579)、九州での兵乱を避けるため、筑紫国大宰府(つくしのくにだざいふ)から一人の老神官が菅原道眞の像を背負って入洛し、六条通周辺に祀ったのが始まりといわれる。 天正15年(1587)、烏丸二条の地に大雲院が開創される際に、鎮守社として迎えられ、その後、慶長2年(1597)現在地に創建された。 元治(げんじ)元年(1864)の蛤御門(はまぐりごもん)の変では、この一帯だけが奇跡的に類焼を免れた。 これ以降もしばしば火難から救われたという伝承があり、学問成就とともに火除の神として多くの信仰を集めている。 なお、境内には天満宮25社第9番の石碑がある。

西光寺(寅薬師)

浄土宗西山深草派。山号北亀山。本尊阿弥陀如来。 弘安年間(1278~1288)後宇多天皇から下賜され、寅薬師と称した薬師如来を安置するため、御倉堂を建立したのが始まりと伝わる。 この薬師如来は弘法大師が一刀三礼し刻んだもので、寅の日の寅の刻に完成した事から、その名がついたという。 元来は宮中に持仏として安置され、歴代の天皇の信仰を集めたという。 お堂は1788(天明8)と1864年(元治元)に焼失、翌1865年(元治2)に再建されたが、明治44年三度焼失し、大正2年に再建。 仮建築のまま現在に至る。 寅薬師は京都十二薬師の第11番で、近世の名薬師の一つに数えられた。 寅年生まれの守護佛としてだけでなく、広く開運繁栄、無病息災などの諸願成就の霊験あらたかである。 堂内には別に安産守護の腹帯地蔵尊像も安置されており、腹帯を授与している(要予約)。 この地蔵尊も近世の京都名地蔵二十一地蔵の一つに数えられ、洛陽四十八願所の第34番でもある。

善長寺

永正の初めに忍想上人により綾小路室町善長寺町に創建され、 天生19年に豊臣秀吉の命で現在地に移転し、徳川家康上洛の折りの定宿であった。 地蔵堂に祀られている秘仏地蔵菩薩は、鎮護国家、無病息災、延命の守護仏として深く信仰されている。 浄土宗西山禅林寺派に属し山号を大原山と称している通称くさがみさんと呼ばれて親しまれている。

大行寺

真宗佛光寺派(宗祖、親鸞聖人)に属し、佛光寺の山内寺院。1821年(文政4)権少僧都信暁学頭が、佛光寺高倉西奥之町の月見御殿(豊臣秀吉が月を賞した御殿)跡に創建。 1853(嘉永6)に現在地に移寺。 開祖信暁学頭は、佛光寺版教行信証、御勧章の開版に尽力され、著書も多く特に「山海里」36巻は有名。 ご本尊は鎌倉時代初期の代表的な仏師、快慶晩年の作で、国の重要文化財。仏足跡(石)は、安政3年、信暁学頭によって建碑。

五條天神社

祭神として、大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)・天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る。 社伝によれば、延暦13年(794)、桓武天皇の平安遷都に当たり、大和国宇陀郡から天神(あまつかみ)を勧請(かんじょう)したのが当社の始まりといわれる。 当初は「天使の宮」(天使社)と称したが、後鳥羽天皇の時代に「五條天神宮」と改めた。 創社の頃は社域も広く、社殿も広壮であったが、中世以来度々火災に遭い、元治元年(1864)の蛤御門(はまぐりごもん)の変で社殿は焼失した。現在の社殿は近時の再建である。 当社は古来、医薬・禁厭(きんえん)(まじない)の神として広く崇敬され、今なお節分には、厄除け祈願のために参詣する人が多い。 例祭は、毎年5月10日に行われる。

御所八幡宮

応神天皇、神功皇后、比売(ひめ)神の三神を祭神とする。もと御池堺町西南角御所八幡町にあったが、太平洋戦争中、御池通の強制疎開によってこの地に移転した。 この八幡社を御所八幡宮と呼ぶのは、足利尊氏が邸内の守護神として勧請したと伝えられる由緒によってであり、尊氏の法名によって等持寺八幡とも、また高倉八幡とも呼ばれて親しまれてきた。 特に安産と幼児の守り神として有名で、三宅八幡とならんで「むし八幡」と呼ばれて世間の信仰を集めている。

長仙院

誓願寺の塔頭の一つで、本堂の本尊阿弥陀如来像はもと東山松原にあった清円寺から譲り受けたものといわれている。 未開紅の梅(蕾は紅色なのに、花は白色になるという珍しい梅の樹)があり、新京極の七不思議の一つである。