二条・烏丸・河原町
正運寺
来迎寺
福長神社
本社は福井(さくいの)神(かみ)、綱長井(つながいの)神(かみ)、稲荷神を祭神として祀る。 社名は、福井、綱長井の二神を合祀することによるが、稲荷神も合祀することから「福(ふく)長稲荷(ながいなり)」とも呼ばれた。 福井神と綱長井神は、平安京大内裏内の神祇官(じんぎかん)西院(さいいん)(現在の大宮竹屋町辺)に祀られていた延喜式内(えんぎしきない)社、宮中(きゅうちゅうの)神(かみ)の座摩巫(いがずりのみかんなぎの)祭神(まつるかみ)五座(生井(いくいの)神(かみ)、福井神、綱長井神、波比伎(はひきの)神(かみ)、阿(あ)須波(すはの)神(かみ))のうちの二座である。 現在の地に遷された経緯については、社伝によると天(てん)正(しょう)年間、豊臣秀吉の聚(じゅ)楽第(らくだい)造営、あるいは廃城の際と伝えられるが、天正二年(一五七四)に織田信長が上杉謙信に贈ったと伝えられる洛中洛外図屏風(狩野永徳筆)には、すでに現在地に福長神社が描かれている。 天明(てんめい)の大火(一七八八)で焼失した後は小さな祠となったが、明治時代以降も水の神(屋敷内の井戸や泉の神)として地元の人々から篤く信仰されている。
繁昌神社
善導寺
京はま稲荷大明神
光明寺
大善寺
天道神社
当天道神社は、延暦13年(794)、桓武天皇が都を平安京に遷都のとき、もともと長岡京に鎮座されていた天道神社を万民豊穣、子孫繁栄、悪疫退散を祈願され、三条坊院東洞院(現在の東洞院御池上る付近)の地に勧請されました。 当時の境内は1町四方におよぶ広大で荘厳な宮でしたが、その後、応仁の乱など度々の兵火に包まれました。 天正2年(1574)織田信長公により五条坊門猪熊の地を授かりここに鎮座され今日に至ります。 主神は伊勢皇大神宮の天照大神、左右に正八幡大神、春日大明神、の三柱の神々を祀る。境内社に洛陽二十五社天道天満宮、約束稲荷神社、祇園八坂神社、弁財天厳島神社を祀る。 また歴代皇室の崇敬篤く境内には明治天皇の皇后昭憲皇太后の御胞衣(おえな)を埋納した塚がある。 毎年11月3日に例大祭併神幸祭が盛大に斎行されます。 5月17日に執行される「天道花神事」は国宝上杉本「洛中洛外図屏風」にも描かれている伝承的行事であり今や天道神社でしか見られません。