玉津岡神社

玉津岡神社の祭神は下照比賣命(したてるひめ)で古くは椋本(むくもと)神社、八王子社と呼ばれていた。 嘉吉元年(1441年)の興福寺の文書には、椋本天神の名で記され、由緒を欽明天皇元年に下照比売命が兎手玉津岡に降臨し、天平三年(731年)に橘諸兄が下津磐根に遷座、文応元年(1260年)現在地に遷座したとされている。 玉津岡神社も橘諸兄ゆかりの神社。

八角堂

八角堂は、市内最大の前方後円墳である西軍塚古墳の円頂部に建つ、八角形をした珍しい建物です。 現在は正法寺の境外堂宇のひとつであり、本尊阿弥陀如来が安置されています。 建保年間(1213年~1219年)順徳天皇の御願により、石清水八幡宮の社家善法寺祐清が石清水八幡宮の境内に建立したもので、のちに大破して慶長12年(1607年)豊臣秀頼によって再建されました。 明治維新の神仏分離に伴い現在地に移されました。八角円堂ではありますが、正方形の四隅を切りとった八角形です。 720,,京都府八幡市八幡大芝

雙栗神社

雙栗神社は佐山双栗に鎮座し、『延喜式神名帳』に記載されている神社で、『三代実録』貞観元年(859)正月27日の条に見える雙栗神と考えられています。  中世以降は石清水八幡宮の分霊を祀ったことから椏本(あてもと)一品八幡宮と呼ばれました。雙栗神社の本殿の規模と形式は、石清水八幡宮の分霊を祀ることから三間社(正面の柱間が三間の本殿)流造に造られています。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)で、正面に向拝を付けています。 本殿の斗供間には向かって左に「花と鳥」右に「紅葉と鹿」を彫刻した蟇股(かえるまた)があります。また脇障子の上部には「りすとぶどう」をあしらった精巧な彫刻をほどこしてします。  本殿の建立年次については、室町時代末、社伝にいう明応3年(1494)頃のものと考えられています。本殿は、昭和55年~56年にかけて彩色の塗替えと屋根の葺替がおこなわれました。 722,,京都府久世郡久御山町大字佐山小字双栗55番地