福徳寺

当山は、平城京が奈良に定められた翌年、和銅四年(七一一)に、現在智から北へ数一〇〇メートルの大谷山の口に、行基が法相宗として開創し、聖武天皇の勅願により薬師七重塔が建立され、弓削寺と称した。 その後、応永三年(一三九六)に焼失し、再建されたが、天正七年(一五七九)、明智光秀が周山城を築くのに当たって、本寺を破却して城の用材に充てたという。 明治一五年(一八八二)、福徳寺という寺名を再興した。 なお、当時の薬師如来と持国天、増長天の両像が大正一四年(一九二六)に国宝に、昭和二五年(一九五〇)に重要文化財に指定された。

衣手神社

松尾大社境外末社。 玉依姫命・羽山戸神を祭神とする。 古来歌枕として著名である「衣手森」の故地と伝わる。 元来三宮社が鎮座し、郡村の産土神として敬われていたが、明治8年(1875)衣手社を合祀、同11年衣手神社と社名が改められた。

三ノ宮神社

樫原地区の総鎮守で境内には、地名の樫の古木がある。 スサノオノミコト、オオヤマグイ(山の神)、サカトケ(酒の神)の3柱をまつる。 源頼光伝説の鬼の話が伝わる。 拝殿の天井に「酒呑童子の鬼」と「禁門の変」の絵は有名、だるま商店の作品。神社の前には国指定の樫原廃寺跡公園がある。 樫原は宿場町として栄え、この一帯は町並保存地区の指定がある。 幕末の禁門の変の戦いで闘死した3柱の志士の墓、その足跡もあり散策すると約1時間あまりかかる。

大河内山荘庭園

この庭園は昭和初期の映画俳優大河内伝次郎(1898~1962)が百人一首で有名なここ小倉山からの雄大な風光に魅せられ、30年に渡り丹精こめて、こつこつと造りあげた優美な庭園です。 桜や楓が多く植栽された園内からは、嵐山に保津川の清流、比叡山や京の町並みなども眺められ、四季折々に趣があります。 近年、国の文化財に指定されました。

源光寺

源光寺は唯一全国自由地蔵信仰、信仰の自由総本山根本霊場です。 平安朝、弘仁2年、大宇宙に光明の奇瑞あり、記して創建す。嵯峨天皇の第3皇子、左大臣源常公開基なり。 常磐殿(源光寺旧名)に後白河法皇は参議小野篁公(印綬冥官)の神秘の源光寺本尊(光明地球本尊)を祀る。 不思議神仏冥合の秘跡なりと源光寺伝に伝う。 また源義経公の母、常盤御前の墓がある(歴史、初めての日本一の美女と伝わる、続日本後記)。 そして源光寺は唯一の日本根元本尊(光明地球本尊)を祀る。 善神社、善寺院の結願寺にして大吉祥成就の満願寺である。 地球第一の神聖霊場なり。 すべては地球より生まれ、地球に帰る。 唯一の地球の本尊である光明の源光寺本尊に帰る。 源光寺大祭は毎年8月21日より23日(日昼)。 他に年4回の例祭がある。