高御産日神、神産日神、他6柱を祀る。 由緒等詳細は不明だが、ご創建は大同年間(806~810)とも延喜年間(901~923)とも伝えられる。 浄土寺や銀閣寺の鎮守社であり、地域一帯の産土神として広く崇敬を集めている。 春季例祭、4月24日。 大祓式、6月30日。 扇子感謝祭、8月8日。 秋季例祭、10月24日あるいはその直前の日曜日。 火焚祭、11月23日。
京都
子安観世音
光福寺
正しくは、干菜山(ほしなざん)斎教院安養殿光福寺と号する浄土宗知恩院派の寺院で、俗に「ほしな寺」と呼ばれている。 寺伝によれば、寛元年間(1243~47)に道空上人が西山安養谷(あんようがたに)(長岡京市)に建立した一寺(斎教院)が当寺の起りと伝え、天正10年(1582)に、月空宗心(げっくうそうしん)によって現在の地に移された。 道空は、六斎念仏を世に広めたことで知られ、その由緒をもって後柏原天皇から六斎念仏総本寺の勅号を賜った。 また、文禄2年(1593)に豊臣秀吉が、鷹狩の途次に当寺に立ち寄った時、住職宗心が干菜(ほしな)を献じたことにより、秀吉から干菜山光福寺の称号を与えられたといわれている。 本堂には、正和2年(1313)に花園天皇から賜った閉目の阿弥陀如来像を安置し、収蔵庫には、六斎念仏興起書等の諸文献や、秀吉寄進の陣太鼓及び秀吉画像等を収納している。
真乗院
長徳寺
積善院
聖護院塔頭。聖護院の寺中東隣にある。積善院は鎌倉時代1200年頃の創建とされ、江戸時代建立の凖提堂と明治の初め合併され、積善院凖提堂とも呼ばれる。 本堂には積善院本尊、不動明王(重文)や、光格天皇勅願による凖提観音像を安置。 境内には保元の乱で讃岐に流され、配流地で墳死された崇徳天皇の霊をなぐさめ祭ったという「崇徳院地蔵」(別名・人喰い地蔵)や、聖護院の森で心中した、お俊・伝兵衛の供養塔がある。 毎年二月二十三日には秘仏五大力菩薩が一日だけ開帳され、法要が催される。 積善院は、もと栴(なぎ)ノ坊と号する。聖護院の一院家で、熊野神社の西北方にあったが、大正初年、この地にあった凖提堂と合併され、積善院凖提堂と称するようになった。 本堂には、寛政年間(1789~1801)光格天皇の勅願により、聖護院宮盈仁(えいにん)親王の開眼になる凖提観世音菩薩と、鎌倉初期のもので智証大師の作風を伝える木造不動明王像(重要文化財)を安置する。 境内西北隅には、もと聖護院の森の西北(現京大病院)の野中にあった石造の崇徳院地蔵をまつる。 東南隅には、昭和27年、豊竹山城少椽らの発起によって建てられた「お俊伝兵衛恋情塚」がある。 毎年2月23日におこなわれる五大力尊法要は参詣者で賑う。