京都
閑臥庵
黄檗宗。後水尾法皇が御信仰篤く、もと梶井常修院の宮の院邸を献上されたものである。 初代隠元禅師から六代目の黄檗山萬福寺管長千呆禅師を招いて1671年に開山した。 法皇より「閑臥庵」の勅号を賜り御所の勅願所とされた。 十干十二支九星を司る総守護神で、安倍晴明が開眼した北辰鎮宅霊符神が祀られている。 後水尾法皇ゆかりの品々や伊藤若冲の十二支版木、開山三百三十周年記念時に制作した砂曼荼羅など公開されている。 ◆由緒 山号を瑞芝山(ずいしざん)という黄檗宗(おうばくしゅう)の寺である。 後水尾上皇が鎮宅霊符神(ちんたくれいふじん)を貴船の奥の院より勧請せられ、隠元禅師(いんげんぜんし)の弟子である千呆和尚(せんがいおしょう)がこれを祀り、王城鎮護の祈祷道場として上皇みずから宸筆(しんぴつ)の額を寄せられた。これが当寺の起りといわれる。 この神は衆星守護をつかさどる神とされ、安倍晴明(あべのせいめい)の開眼と伝えられる。 また、上皇は庭前に桜を植えられたが、その後、咲きにおう花をご覧になって 霞みゆく松は夜ふかき山端(やまばた)の あけぼのいそぐ花の色かな と詠まれたので、それより桜は「あけぼの桜」と名付けられ、寺名も曙寺と呼ぶようになったという。 この桜は惜しくも大正14年(1925)に枯れはてて、現在の桜は近年の植え替えである。
猿田彦神社
法音寺
菩提樹山と号し、もと天台宗で現在は浄土宗西山派に属する。慈覚大師の創建と伝えられ、平安時代諸書にこの寺の名があらわれている。 しかし、応仁の乱の兵火にあって一たん焼失し、その後復興した。花山院天皇の勅願所となり、また西国三十三ヶ所霊場復興所の本山である。 本寺は左大文字の発祥地旧大北山村の菩提寺でもある。 毎年8月16日朝、本寺にて施設餓思会が行なわれ、その時使われた火が、左大文字の親火となって点火される。 大文字送火の起源や、その意味については諸説があって一定でないが、江戸時代のはじめより記録にあらわれ、お盆の精霊の送り火として毎年点火されてきた。 左大文字は、本寺を中心とした旧大北山村の人々によってうけつがれてきたのである。 うらよりも むらにいでぬるみちなれば これぞほとけの みちになるらん
知井八幡神社
丹後大仏
大乗院
葉室山 浄住寺
葉室山に号し、黄檗(おうばく)宗に属する。 寺伝によれば、弘仁年間(810~824)嵯峨天皇の勅願によって円仁が開創した。 弘長年間(1261~1263)葉室定嗣が西大寺の叡尊(えいそん)を請じて中興してのち、葉室家の菩提寺となって盛えた。正慶2年(1323)の絵図によれば、本堂・鐘楼・舎利殿など多くの堂宇がたちならんで威容を誇っていたさまが描かれている。 しかし、南北朝時代以後たびたび兵火にあい荒廃していたが、元禄2年(1689)葉室孝重は鉄牛禅師に深く帰依し、禅宗の寺として本寺を再興した。 本堂には本尊釈迦牟尼仏坐像を安置し、本堂背後の開山堂には鉄牛禅師像を安置する。 寺宝には、葉室氏及び叡尊関係のものが多く、なかでも叡尊自叙伝の古写本である「感身覚正記」が有名である。