天神社

松井区民の心のふるさと松井の氏神を祀る「天神社」は、府道八幡・富野荘線の近鉄京都駅、新田辺駅前から4km、京阪八幡駅前から6km、JR学研都市線(旧国鉄片町線)松井山手駅より1kmの位置にあり、上記の各駅から京阪宇治交通のバスに乗車すれば、「松井」停留所で下車してそこから西へ徒歩5分のところにある。 当社の祭神は最高地点の、海抜40mで、生駒山地の北部にあり、地質は、新生代四紀洪積層の砂層から構成されている大阪層群の地層の上に祀られている。従って当社への参詣は上下二つの階段を上ってすぐに本殿があり、そこに祭神が祀られている。 道中には、樹齢数百年を経た大木が茂り、その森の中には、リス・ムササビを始めトンボ・蝉等の生き物が棲息している。 春の若葉やまた秋になって紅葉した頃のその美しさは格別である。この美しい森の上方に私達の心のふるさと天神社がある。その祭神を祀られた起源は古く、第60代醍醐天皇の延喜5年(907)に編纂された神名帳に記載されている式内社である。境内には、この本殿の外に愛宕社・松尾社・八幡宮・厳島神社・山神社等多くの神々を祀るお社がある。本殿の北の方へ行くと、周辺の景色が一望でき、その素晴らしさは格別である。以前昭和初期頃には、近隣町村の小学生が、春や秋の遠足に当社の境内に来たことがあった。 また、当地に住んでいる現在かなり年輩の方々の子供の頃には、境内で遊んだり、また秋には椎の実を拾い集めて楽しんでいた。 恒例の秋祭りには、境内に太鼓が出されて、大人や子ども達が、大勢きて順番に「インナリ山のキツネドンカイカイツクツ・カイツクツ」と爽快なリズムで、夜遅くまで楽しくたたくその音は、遠く隣村まで聞こえていた。このように氏子の方々に古くより親しまれてきたこの太鼓は、今日所誦「無形文化財」に匹敵するだけの価値があるのではなかろうか。 なお、この天神社境内の近くには、古墳時代末期の横穴古墳の遺跡があり、ときどきここを訪れる人々がいるようである。

松尾神社

松尾神社は、社伝によると天平勝宝年間(749~757)にはじまる古社で、国の重要文化財に指定されてる本殿は、江戸時代の天明6年(1786)に造営された奈良春日大社若宮本殿を文化5年(1808)にこの地へ移築したものです。 表門両脇の土塀は、鎌倉時代の瓦を練りこんだ土塀です。

笠置寺(正月堂)

笠置寺の創建は古い、すでに2000年前から笠置山の巨岩は信仰の対象となっていた。この事は笠置山の中心をなす大岩石の前から弥生式時代の有樋式石剣が発見されたことによってわかる、しかし実際に建物が建てられ人が住みついたのは1300年前である。 1300年前東大寺の実忠和尚、その師良弁僧正によって笠置山の大岩石に仏像が彫刻されその仏を中心として笠置山全体が一大修験行場として栄えたのである。 平安時代永承7年(1052)以後世の末法思想の流行とともに笠置寺の大磨崖仏は天人彫刻の仏として非常な信仰をうけたのである。鎌倉時代建久2年(1191)藤原貞慶(後の解脱上人)が日本の宗教改革者としてその運動を笠置寺から展開するとき笠置山は宗教の山、信仰の山として全盛を極めた時であった。 しかし元弘元年(1331)8月27日倒幕計画に失敗した後醍醐天皇を当寺に迎えたことにより攻防1ヶ月ついに笠置山は全山焼亡以後室町時代少々の復興を見たが江戸中期より荒療、ついに明治初年無住の寺となった。 明治9年丈英和尚孤狸の住む荒れ寺に住して笠置寺の復興につくすこと20年ようやく今日の姿となったのである。

寿宝寺

開運山寿宝寺は、高野山真言宗の寺院であり人皇第四十二代文武天皇慶雲元年(704)の創建で、昔は「山本の大寺」と称し 七堂伽藍が備って和泉川(現在の木津川)ぞいの平野に梵鐘の響きを伝える大きな寺であった。 しかし東方を流れる和泉川の度々 の大洪水により建造物を流失したので、それより西方に「一佛寺」を建てた。 その後、正長元年(1428)8月2日の大洪水で 「佐牙・若松両社」廃壊、「一佛寺」も流水したが、永亨3年(1431)石戸村の西山を開発し、現在の「佐牙神社」境内にあ った法楽寺(三山木の廃寺)に観音堂を建立し一佛寺の残仏(十一面千手観音立像など)を安置した。 寿宝寺は、かつてあった一 佛寺の北西およそ四百メ―トルの現在地に亨保17年(1732)4月17日創建され現在に至っている。 なお、観音堂に安置さ れていた十一面千手観音立像は、明治初年の神仏分離令により寿宝寺へ移された。 そして、昭和42年9月24日には、住職 檀家をはじめ地元の人々の発願で、前町民の浄財の上に国庫や府それに町の補助を受け、180万円の経費で鉄筋コンクリ―ト平 屋建て、耐震、耐火、防湿を完備した収蔵庫を建て落慶法要を営み十一面千手観音立像などを安置した。

泉橋寺

奈良時代の高僧行基が、天平12年(740)に開いた泉橋院は(発菩薩院)、隆福尼院を前身とする寺院で、行基創建四十九院の一つといわれています。 境内には五輪塔(重要文化財)があり、地蔵堂跡に鎮座する石造地蔵菩薩坐像は、高さでは日本一の石地蔵として有名です。