奈良
安居院(飛鳥寺)
飛鳥寺は第三十二代崇峻天皇元年(588)蘇我馬子が発願し、第三十三代推古天皇四年(596)に創建された日本最古の寺であり、寺名を法興寺、元興寺、飛鳥寺(現在は安居院)とも呼んだ。 近年(昭和三十一年)の発掘調査により、創建時は塔を中心に、東西と北にそれぞれ金堂を配し、その外側に回廊をめぐらし更に講堂を含む壮大な伽藍であった。 本尊飛鳥大仏(釈迦如来像)は、推古天皇十四年(606)天皇が詔して鞍作鳥仏師に造らせた日本最古の仏像である。 旧伽藍は仁和三年(887)と建久七年(1196)の火災によって焼失し、室町以降は荒廃したが、寛永九年(1632)と文政九年(1826)に再建され今日に至っている。 ◆由緒 現在の本堂は古えの中金堂(一塔三金堂)の位置に相当し本尊飛鳥大佛は1390有余年間そのままに座したまうは奇跡の存在といえよう。 平安朝まではより以上に膨張し中世以後天災地変、自然崩壊のため境内は1/20に縮小されたが、この長閑な青垣山こもれる風景に麗しい殿堂があった昔を偲べばうたた感慨無量といえようか。 聖徳太子は橘の藁小屋で生まれたまい、大陸の先生に先進国の学問を受け、その粋を取って国民の守るべき17条憲法を示されたのがこの本尊に誓ってのことであった。 蘇我馬子が決戦の暁、強引に飛鳥寺に着手したことは必然的に飛鳥文化の扉が開けゆく固い約束にもなった。 即ち国家数千年の大計を果し得たことは権力の野望を充した一面見事な光彩を放ち得たといえよう。 驚くなかれ! 佛法最初という寺のいくつかある中でも又、シルクロードの終点といわれる寺のいくつかある中で飛鳥寺こそその終着点であり、日本の起点になったことは先ず疑いなき事実なり。 太子の師恵慈、慧聡が都の本格的なこのお寺に住まわれたことも感激すべき事実である。 大化改新は勿論奈良朝然り、各宗の母胎揺籃の地になったこと、又、世界に誇る万葉文学淵源の地ともいえよう。 既に我らの記憶から遠ざかったけれども、この土、この塵に曾(かつ)て輝かなりし遠祖の香り、血が、汗が滲んでいることを思い起せば心揺さぶられ身の鼓動を禁じ得ない。 土地は枯れ、寺は寂びれて、み佛は傷つけども、領土・民族のあらん限り歴史のふる里ではある。悠久なる前に吾人は一瞬である。一生一度齷齪の中にも、此処に来た一時は大佛前に合掌し、古えの人の心にふれ、語り合い、民族の久しきことを国土の万世なることを願い顧みつつ懐古の情を温めることは報恩の一端ともなるものか。又後代日本を背負う若人の弁えでもあろうか。お互いの行く末無事安泰を黙祷されよ。飛鳥への憧憬、飛鳥への郷愁、此処に来て初めて満喫し得るものか。諸氏の心情果して如何に。