丹生川上神社上社

丹生川上神社上社(にうかわかみじんじゃかみしゃ)は、奈良県吉野郡川上村迫にある神社。式内社(名神大社)及び二十二社(下八社)の論社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。社名は下市町の丹生川上神社下社に対するものである。 明治初年までは高龗神社という小規模な祠で、その由緒も不詳であるが、大滝ダム建設に伴う境内の発掘調査により宮の平遺跡が発見され、本殿跡の真下から平安時代後半(11世紀末)以前に遡る自然石を敷き並べた祭壇跡が出土し、また付近からは、縄文時代中期末から後期初め(約4000年前)にかけての祭祀遺跡と見られる、立石を伴う環状配石遺構が出土したため、途中奈良・古墳時代にかけての断絶が認められるものの、当神社の祭祀空間としての機能は縄文時代にまで遡る可能性が出てきた。 明治6年(1873年)に郷社に列したが、当時の官幣大社丹生川上神社(現在の下社)少宮司江藤正澄が、下社の鎮座地は寛平7年(895年)の太政官符(『類聚三代格』所収)に記す丹生川上神社の四至境域に合致しないことを指摘して当神社を式内丹生川上神社に比定し、翌明治7年には当神社を下社所轄の神社とするとともに、下社を「口の宮」、当神社を「奥の宮」と称した。その後江藤説が認められて、明治29年(1896年)に「口の宮」を「丹生川上下社」、当神社を「同上社」と改称し、2社を合わせて「官幣大社丹生川上神社」となった。 だが、大正(1915)4年 、現・中社のある東吉野村出身の森口奈良吉が『丹生川上神社考』を著して、「蟻通神社(現丹生川上神社・中社)=丹生川上社説」を唱え、これが受け入れられたため、同11年(1922年)10月12日内務省告示で「郷社丹生川上神社、奈良県吉野郡小川村鎮座、祭神罔象女神。右官幣大社丹生川上神社中社ト定メラルル旨被仰出」とされ、上社・下社は中社に包括される形で、改めて3社を合わせて「官幣大社丹生川上神社」とされた。その際、上社の祭神は罔象女神から郷社時代と同じ高龗神に再び戻された。 第二次大戦後の昭和27年(1952年)に独立し、現在は神社本庁に属して、その別表神社とされている。

源九郎稲荷神社

源九郎稲荷神社とは、奈良県大和郡山市に鎮座する、源九郎狐や綿帽子を買った狐の伝説で有名な神社である。 童謡『やまとの源九郎さん』に歌われている場所であり、地元では「源九郎さん」の呼び名で親しまれている。小さな稲荷であるが、日本三大稲荷の一つに数えられ、北向きの本殿に『白狐源九郎』が祀られている。(Wikipedia)

仏隆寺

仏隆寺(ぶつりゅうじ)は、奈良県宇陀市榛原赤埴(はいばらあかばね)にある真言宗室生寺派の寺院である。山号は摩尼山。本尊は十一面観音。 室生寺の南門として本寺と末寺の関係にある。 空海(弘法大師)が唐から持ち帰った最古の茶を栽培したといわれ、大和茶発祥の地とされる。彼岸の頃には約200段もの石段の両側をヒガンバナの花が埋め尽くす。 平安時代前期の嘉祥3年(850年)に空海(弘法大師)の高弟・堅恵(けんね)により創建されたと伝わるが、それ以前に奈良・興福寺の修円が創建したともいわれる。

宇太水分神社

宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)は、奈良県宇陀市菟田野古市場にある神社。大和の東西南北に祀られた四水分神社のうち東に当たるのが当社とされる(他の3つは都祁水分神社、葛城水分神社、吉野水分神社)。宇陀地域には他に2つの水分神社があり、宇陀市榛原下井足(はいばらしもいだに)の宇太水分神社を「下社」、同市菟田野上芳野(うたのかみほうの)の惣社水分神社を「上社」、本項で解説する同市菟田野古市場の神社を「中社」とも称する。 古市場の由緒によると、創立は崇神天皇の時代で、2003年の社殿の塗り替えの時にわずかに残された色彩が発見されそれを元に復元された。 ◆本殿3棟(国宝) 同形同大の社殿3棟が相接して並列する。向かって右から第一殿、第二殿、第三殿で、それぞれ天水分神、速秋津比古神、国水分神を祀る。建築形式はいずれも一間社、隅木入春日造で、屋根は檜皮葺きとする。第一殿の棟木に元応2年(1320年)の墨書があり、第三殿も同時期の建立とみられる。第二殿は棟木に永禄元年(1558年)の墨書があり、この時に新造に近い改築を経たとみられる。第一・第三殿は、隅木入春日造で建立年代の明らかなものとしては最古のものである。身舎と向拝柱の間には繋虹梁(つなぎこうりょう)を渡さず、手挟(たばさみ、柱上の組物と垂木の間に取り付ける三角形の材)を入れるのみである。繋虹梁を用いないのは、3棟の社殿を側面から見た場合の見通しを考慮したためとみられる。

阿紀神社

阿紀神社(あきじんじゃ)は奈良県宇陀市大宇陀迫間(おおうだはさま)に鎮座する神社。旧社格は県社、延喜式内社。旧称は阿貴宮および神戸大神宮、通称は神戸明神。 神代に神楽岡に創建され、崇神天皇の勅によって神戸大神宮の号を賜わる。安土桃山時代(天正年間)に本郷川西岸の現在地に遷座されたときに、現在の社名へと改められた。江戸時代前期に能舞台が建設され、能が上演されるようになる。1902年(明治35年)に郷社から昇格して県社に列格した。

金剛山寺(矢田寺)

矢田寺は、奈良県大和郡山市にある高野山真言宗の寺院。山号は矢田山。正式の寺号を金剛山寺という。 別名「あじさい寺」とも呼ばれ、境内には約10,000株、約60種のアジサイが植えられている。 さらに矢田寺大門坊では、古くより容眞御流華道の家元として、華道研究も盛んに行われている。(Wikipedia)

松尾寺

松尾寺は、奈良県大和郡山市にある真言宗醍醐派の別格本山。山号は松尾山または補陀洛山。本尊は千手観音。開基は舎人親王と伝える。 日本最古の厄除け寺と称され、2月・3月の初午の日の縁日には多くの参詣者でにぎわう。境内にはバラ園があり、バラの名所としても知られる。