松尾寺

松尾寺は、奈良県大和郡山市にある真言宗醍醐派の別格本山。山号は松尾山または補陀洛山。本尊は千手観音。開基は舎人親王と伝える。 日本最古の厄除け寺と称され、2月・3月の初午の日の縁日には多くの参詣者でにぎわう。境内にはバラ園があり、バラの名所としても知られる。

大野寺

大野寺(おおのでら、おおのじ)は、奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派の寺院である。山号は楊柳山、本尊は弥勒菩薩、開基は役小角と伝える。室生寺の西の大門に位置する。宇陀川岸の自然岩に刻まれた弥勒磨崖仏があることで知られ、枝垂桜の名所としても知られる。役行者霊蹟札所。 宇陀川沿いの景勝の地にあり、近鉄室生口大野駅方面から室生寺へ向かう際の入口に位置する。伝承では白鳳9年(681年)、役小角(役行者)によって草創され、天長元年(824年)に空海(弘法大師)が堂を建立して「慈尊院弥勒寺」と称したという。役小角は修験道の開祖とされる伝説的要素の多い人物であり、空海が堂を建立との話も創建を宗祖に仮託した伝承とされており、創建の正確な経緯は不明である。近くにある室生寺は興福寺系の僧によって創建・整備されており、大野寺の磨崖仏造立にも興福寺の僧が関係していることから見て、興福寺と関係の深い寺院であったと考えられている。 宇陀川をはさんだ対岸にある弥勒磨崖仏は、「石仏縁起」(万治2年・1659年)や「興福寺別当次第」によれば、興福寺の僧・雅縁の発願により、承元元年(1207年)から制作が開始され、同3年に後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われたものである。 寺は明治33年(1900年)の火災で全焼した。その際、本尊をはじめとする仏像などは持ち出されたが、現存する建物はすべて火災以後のものである。

室生龍穴神社

室生寺よりも古い歴史をもち、水の神「龍神」を祀る。奈良時代から平安時代にかけて朝廷からの勅使により雨乞いの神事が営まれ、室生寺は龍穴神社の神宮寺であった時代もある。 当社の上流には龍神が住むと伝わる洞穴「妙吉祥龍穴」があり、古代から神聖な「磐境」とされてきた。室生では、「九穴八海」という伝説が伝えられ、九穴とは、三つの龍穴と六つの岩屋をいう。また、八海とは、五つの渕と三つの池をさしている。

仏隆寺

仏隆寺(ぶつりゅうじ)は、奈良県宇陀市榛原赤埴(はいばらあかばね)にある真言宗室生寺派の寺院である。山号は摩尼山。本尊は十一面観音。 室生寺の南門として本寺と末寺の関係にある。 空海(弘法大師)が唐から持ち帰った最古の茶を栽培したといわれ、大和茶発祥の地とされる。彼岸の頃には約200段もの石段の両側をヒガンバナの花が埋め尽くす。 平安時代前期の嘉祥3年(850年)に空海(弘法大師)の高弟・堅恵(けんね)により創建されたと伝わるが、それ以前に奈良・興福寺の修円が創建したともいわれる。

宇太水分神社

宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)は、奈良県宇陀市菟田野古市場にある神社。大和の東西南北に祀られた四水分神社のうち東に当たるのが当社とされる(他の3つは都祁水分神社、葛城水分神社、吉野水分神社)。宇陀地域には他に2つの水分神社があり、宇陀市榛原下井足(はいばらしもいだに)の宇太水分神社を「下社」、同市菟田野上芳野(うたのかみほうの)の惣社水分神社を「上社」、本項で解説する同市菟田野古市場の神社を「中社」とも称する。 古市場の由緒によると、創立は崇神天皇の時代で、2003年の社殿の塗り替えの時にわずかに残された色彩が発見されそれを元に復元された。 ◆本殿3棟(国宝) 同形同大の社殿3棟が相接して並列する。向かって右から第一殿、第二殿、第三殿で、それぞれ天水分神、速秋津比古神、国水分神を祀る。建築形式はいずれも一間社、隅木入春日造で、屋根は檜皮葺きとする。第一殿の棟木に元応2年(1320年)の墨書があり、第三殿も同時期の建立とみられる。第二殿は棟木に永禄元年(1558年)の墨書があり、この時に新造に近い改築を経たとみられる。第一・第三殿は、隅木入春日造で建立年代の明らかなものとしては最古のものである。身舎と向拝柱の間には繋虹梁(つなぎこうりょう)を渡さず、手挟(たばさみ、柱上の組物と垂木の間に取り付ける三角形の材)を入れるのみである。繋虹梁を用いないのは、3棟の社殿を側面から見た場合の見通しを考慮したためとみられる。

阿紀神社

阿紀神社(あきじんじゃ)は奈良県宇陀市大宇陀迫間(おおうだはさま)に鎮座する神社。旧社格は県社、延喜式内社。旧称は阿貴宮および神戸大神宮、通称は神戸明神。 神代に神楽岡に創建され、崇神天皇の勅によって神戸大神宮の号を賜わる。安土桃山時代(天正年間)に本郷川西岸の現在地に遷座されたときに、現在の社名へと改められた。江戸時代前期に能舞台が建設され、能が上演されるようになる。1902年(明治35年)に郷社から昇格して県社に列格した。

金剛山寺(矢田寺)

矢田寺は、奈良県大和郡山市にある高野山真言宗の寺院。山号は矢田山。正式の寺号を金剛山寺という。 別名「あじさい寺」とも呼ばれ、境内には約10,000株、約60種のアジサイが植えられている。 さらに矢田寺大門坊では、古くより容眞御流華道の家元として、華道研究も盛んに行われている。(Wikipedia)

長岳寺

この寺は、淳和天皇勅願によって天長元年(824年)6月に空海(弘法大師)が開基したと伝える真言秘法の大道場と知られ、かつては本堂の外に五重塔、十羅刹堂、真言堂、経蔵、宝蔵、愛染堂、大師堂、宿堂及び寺中坊舎42坊、外客坊、浴室などがあった。 普賢院記録によれば、嘉禄元年(1225)8月12日西大寺の中興、興正菩薩が当時別院律家霊山院の静慶に不動弥陀胎蔵秘道場観を受けている。また正中年中には奈良興福寺大乗院門跡の聖信、明応年中には同門跡慈尋がそれぞれ本願となっている。 中世には広大な寺領を有し、室町時代の乱世には、場本氏の外護に預かったが、応仁の乱、また文亀3年(1502)2月の兵乱に仏閣は炎上、天正8年(1580)の指出にさいしては高300石であったが、秀吉の時に寺領を没収された。 しかし、慶長7年(1602)8月徳川家康は由緒を尋ね寺禄100石を寄せ境内地45町歩を附し、以来朱印地として明治維新におよんだ。 この寺も維新の変革で廃絶におよばんとしたが、民間に深く根ざした大師信仰によって寺運をとりもどし今日に至っている。 現在、長岳寺には、平安時代の楼門、同時代の造像銘のある本尊阿弥陀三尊像と旧地蔵院本堂、庫裡、五智堂、大門などの外、鎌倉時代の石仏等がある。 ◆由緒 山の辺の道にのこる長岳寺は天長元年(824)淳和天皇の勅願により弘法大師が大和神杜の神宮寺として創建された古刹であり、盛時には塔中四十八ヶ坊、衆徒300余名をかぞえた。以来、幾多の栄枯盛衰を重ねながらも、千百七十有余年間連綿と法燈を守り続け今日に至っている。千古の歴史を経て文化財も多く、重要文化財としては仏像5体、建造物4棟がある。 大門をくぐり両側に平戸つつじの生垣が続く玉砂利の参道を行くと我が国最古の美しい鐘楼門につく。12,000坪の広くて静かな境内には四季おりおりの花の香りが漂い、いにしえの趣と心の安らぎを求め、多くの参拝者があとを断たない花と文化財の寺である。 ◆阿弥陀三尊 重要文化財  仁平元年(1151) 中尊の阿弥陀如来及び、両脇侍の観世音菩薩、勢至菩薩の三尊は当寺の本尊である。 阿弥陀如来は西方のかなた十万億土に極楽世界をひらき、末法の世に生まれた私達をもお救い下さる仏さまである。また脇侍の観世音菩薩は阿弥陀如来の慈悲の分身であり、勢至菩薩は智恵の分身である。 堂々とした量感、写実的な表現は藤原時代にあって次の鎌倉時代の作風の先駆と云え、慶派に大きな影響を与えた。玉眼を使用した仏像としては日本最古である。 ◆多聞天・増長天 重要文化財 藤原時代 多聞天・増長天は共に元々、インドでは仏教以外の外道の神々であったが、仏教に帰依し仏教を守る守護神としての役割りをはたしておられる。800年を経た現在も色彩がよく残っている。 ◆弥勒大石棺佛 鎌倉時代 弥勒菩薩は今、都卒天で成道をめざして修業されており、五十六億七千万年後に如来となられ私達の世界に下生される。そして輪廻転生する私達の魂を救済されると云う。当寺の大石棺佛は古墳の石材を利用したもので、法量は2米近く如来形である。 ◆大地獄絵 狩野山楽筆 江戸時代初期 十王図、極楽地獄図とも云い、九幅から構成されており、全法量は縦4米、横11米に及ぶ。三途の河、八大地獄、餓鬼・畜生・修羅道十王裁判図などが画面いっぱいに描れ、圧巻である。毎年、秋に佛画展としての他の佛画と共に開帳される。 ◆繍佛阿弥陀来迎図 県指定文化財 南北朝時代 刺繍の一尊来迎図で毎年、秋に佛画展として他の佛画と共に開帳される。 ◆十三重石塔 鎌倉時代 西大寺中興の興正菩薩叡尊の供養塔と云われその為か叡尊ゆかりの文殊菩薩が刻まれているめずらしい石塔である。 ◆そうめん 大和名物の三輪手延べひねそうめんを5月~9月頃は冷やしそうめん、寒くなるとにゅうめんで味わえます。 ◆鐘楼門 重要文化財 平安時代 日本最古の鐘楼門であり、弘法大師当寺創建当初の唯一の建物である。上層に鐘を吊った遺構があるので鐘楼門という。 ◆旧地蔵院 重要文化財 寛永七年(1630) 当山四十八ヶ坊あった塔中の内、唯一残ったもので今は庫裏としてつかわれている。室町時代の書院造りの様式を残している。また同時代の美しい庭園がある。 ◆旧地蔵院本堂 重要文化財 寛永八年(1630) 延命殿とも云われ、普賢延命菩薩を本尊とする庫裏の持仏堂である。二間四面の小堂であるが桃山風で美しい。 ◆大師堂 県指定文化財 正保二年(1645) 当寺信仰の中心である弘法大師像と藤原時代の不動明王を奉祠する。 ◆本堂 天明三年(1783)再建 当寺の本尊である阿弥陀三尊や多聞天、増長天等の仏像や寺宝類を安置する。 ◆大門 寛永十七年(1640)再建 当寺の総門である。また肘切り門の異名があり僧兵と刀鍛治の伝説がある。 ◆五智堂 重要文化財 鎌倉時代 当寺西方約1kmの飛び地境内にあり、その形から傘堂あるいは眞面堂ともよばれる。真ん中に太い心柱がありこれによって建物のほとんどの重量が支えられている。心柱上部に四佛の梵字額があり全体で五智如来をあらわしている。