吉野山・五條
善福寺
桜木神社
万葉の香り高い象(きさ)の小川のほとりに鎮まるこの神社は、大己貴命・少彦名命、それに天武天皇をお祀りしています。大己貴命・少彦名命は、古くから医薬の神としての信仰があつく、特に初代紀伊藩主大納言徳川頼信公は、たびたび病気平癒を祈願しています。 天武天皇がまだ大海人皇子といわれていたころ、天智天皇の近江の都を去って吉野に身を隠しましたが、あるとき天皇の子、大友皇子の兵に攻められ、かたわらの大きな桜の木に身をひそめて、危うく難を逃れたいう伝説があります。のち大海人皇子は勝利を得て(壬申の乱・六七二)明日香の浄見原に都を定めて、天武天皇となられたのです。 このあと吉野の宮(宮滝)に行幸されると、篤くこの宮を敬われ、天皇なきあとは、ゆかり深い桜木神社へお祀りしたと伝えられています。 皆人の恋ふるみ吉野今日見ればうべも恋ひけり山川清み と万葉集にもあるように、そのかみの大宮人は、吉野川を舟競い、あるときは草摘みに、又あるときは神に祈るため、この辺りへもたびたび歩を運んだことでしょう、そう思うだけでもこの辺りのたたずまいは、万葉の抒情がそくそくとせまって来るではありませんか。
幣掛神社
金峯山寺銅鳥居
桜本坊(櫻本坊)
桜本坊(さくらもとぼう)は奈良県吉野郡吉野町にある金峯山修験本宗別格本山。大峯山寺の護持院5箇院の1つでもある。本尊は神変大菩薩(役行者)。山伏文化の殿堂と言えるほど多くの文化財が残されている。役行者霊蹟札所。正式な表記は櫻本坊。 伝承によれば、天智天皇から逃れた弟の大海人皇子(後の天武天皇)は、「桜本坊」の前身である日雄(ひのお)離宮にとどまっていた。ある冬の日に桜が咲き誇っている夢を見た皇子が役行者の高弟・日雄角乗(ひのおのかくじょう)に訊ねたところ、「桜の花は花の王と云われ,近々皇位に着くよい知らせです」と答えた。その後、壬申の乱に勝利し,皇位に着いた天武天皇は、夢で見た桜の木の場所(日雄離宮)に寺を建立したとされる。 文禄3年(1594年)に行われた豊臣秀吉の花見の際には、関白・秀次の宿舎となった。もとは金峯山寺の蔵王堂の前に在って密乗院と称していたが、明治初年の神仏分離の際に「桜本坊」と改称された。現在は宿坊も営む。