本覚寺

山号を佛性山(ぶっしょうざん)といい浄土宗の寺で、開祖は團譽(だんよ)上人玉翁(ぎょくおう)和尚である。 ここは嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の河原院塩竃(しおがま)の第(だい)のあったところで、今この辺を本塩竃町という。 寺伝によれば、初め西八条の遍照心院(1名、大通院)内に将軍源実朝(さねとも)の後室・坊門信子(ぼうもんのぶこ)が貞応元年(1222)に創建したもので寺名は信子の法名本覚をとったものである。 その後、梅小路堀川に移転し、応仁の乱の荒廃のあと細川政元により高辻烏丸に再建せられ、末寺14を有する本山となった。 その後、後柏原天皇の勅願寺となったが、天正19年(1591)豊臣秀吉の命によってさらに今の地に移った。 境内墓地には八文字屋本の全盛期を築いた江戸中期の版元・八文字屋自笑(じしょう)の墓がある。

長講堂

もと後白河法皇(ごしらかわほうおう)が仙洞(せんとう)御所に営まれた持仏堂で、正式名を「法華長講弥陀三昧堂(ほっけちょうこうみださんまいどう)」といい、法華経を永遠に讃し、阿弥陀仏を念じて三昧境に入る道場という意味である。 寿永2年(1183)、法皇が六條西洞院の平業忠(なりただ)の邸に移られたので、この堂もそこに移建され六条長講堂とよんだ。法皇は多くの所領を寄進したが、これが史上に有名な長講堂領で、法皇の崩後、皇女宣陽門院覲子(きんし)内親王に継がれて以来、いわゆる持明院統によって相続された。 再三の火災のため転々と寺地を変え、天正6年(1578)に現在地に移った。 現在、粟生光明寺(あおうこうみょうじ)の所轄する西山浄土宗(せいざんじょうどしゅう)に属する。 後白河法皇の臨終仏(りんじゅうぶつ)である本尊阿弥陀如来及両脇侍(りょうわきじ)像と御影堂(みえいどう)に安置する後白河法皇木像はともに重要文化財に指定されている。

松明殿稲荷神社

伏見稲荷大社の境外(けいがい)末社で田中社ともいう。 大己貴命(おおなむちのみこと)、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冊命(いざなみのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)を祭神とするが、このほか現在、天智天皇像(木像)、大友皇子像(木像)を安置する。 当社は、天暦2年(948)に創始され、同10年(956)、勅により燎祭(りょうさい)が行われ、その時「炬火(たいまつ)殿」の号を賜った(たまわった)ことに由来すると伝えられる。 はじめ、黒門通塩小路下るにあったが、その後、七条東洞院などを経て、宝永8年(1711)現在の地に移ったとされる。 江戸時代に出された「都名所図会(みやこめいしょずえ)」には、伏見稲荷大社春の稲荷祭のとき、当神社の氏子の人々が松明(たいまつ)をともしてその神輿(みこし)を迎えるのを古例としていたことから「松明殿」の名で呼ばれたと記されている。 また、境内西側には、江戸時代中期の木食正禅養阿(もくじきしょうぜんようあ)の銘のある手洗石及び井戸がある。

興正寺

真宗興正派の本山。文明年間(1469-87)佛光寺の14世経豪が本願寺8世の蓮如に帰依し、佛光寺を弟に譲り、名を蓮教と改め、山科に一宇を建立したのが起こり。 佛光寺の旧称によって興正寺(興隆正法寺)と称した。 その後、石山本願寺とともに寺地を移転し、1591年(天正19)現在地に移った。西本願寺の南隣。

市比賣神社

延暦14年(795)、藤原冬嗣が垣武天皇の命により、官営市場東市・西市の守護神として創建。中世には空也上人が神託により市屋道場を開創。 一遍上人が境内で踊り念仏を遊行。天正19年(1591)に現在地へ移転。現在も京都中央市場の守護神。 境内天之真名井の水は歴代天皇の産湯に用いられ、現在も名水として茶会等に用いられる。 また、皇族・公家が生後50日目には五十日餅を授かり、今も旧家では当社より餅を頂きお食べ初め発祥の神社、母神が童神を抱いた御神像は、慈愛に満ちた大変珍しい姿で、平安時代、花山天皇の作 御所守護の為、本殿は北向き(御所向かい)歴代皇后の崇敬篤く、女人守護の神社で特に女性厄除けに御利益がある。 ◆由緒 祭神は神大市比賣(かみおおいちひめ)命・多紀理比賣(たきりひめ)命・多岐都比賣(たきつひめ)命・市寸嶋比賣(いちきしまひめ)命・下光比賣(したてるひめ)命の五女神を祀る。  平安京が制定された翌年の延暦14年(795)東西市(常設市場)の守護神として七条堀河の地に創建され、天正19年(1591)に現在地に移された。 皇族誕生の際には、境内の「天之真名井(あまのまない)」の水を産湯に用い、また、平安時代より、生後50日目の子供に当社で「五十日百日餅」を授ける風習がある。  安徳天皇の記録を初め、花山院家・足利家歴代の史記にも見られ、現在の「お食初め」発祥の神社といわれる。 秘蔵の女神像は平安時代の作で、母神が童神を抱いた慈愛に満ちた大変珍しい姿であり、創建以来歴代皇后の信仰を集め、特に女性の「厄除け」に神徳が高い。