霊山観音(りょうぜんかんのん)は京都市東山区にある観音像で、第二次世界大戦の戦没者および戦争の犠牲者を追悼するため、1955年、帝産グループ創設者、石川博資によって建立された。高さ24m、重さは約500t、鉄骨コンクリート造。運営は宗教法人霊山観音教会が行っている。観音像の下には内陣があり本尊の十一面観音が祀られている。メモリアルホールには世界無名戦士の碑があり日に4回の法要が営まれている。
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高台天満宮
専定寺(烏寺)
清水善光寺
泰産寺
雙林寺
延命院
日體寺
安養寺
円山(えんざん)と号し、時宗に属する。 延暦年間(782~806)最澄(伝教大師)が開創したと伝え、法然・親鸞両上人念仏発祥の地・吉水(よしみず)草庵として有名である。 のち、建久年間(1190~1199)に至って慈鎮(じちん)(慈円・関白九条兼実の弟)が中興し、安養寺と称した。 その後、次第に衰微したが、至徳年間(1384~1387)には国阿(こくあ)上人によって再興され、以後、時宗に改まった。 境内には、もと六阿弥坊があって、いずれも林泉の美と眺望に富む楼閣を構え、遊客に席を供して風流行楽の域となった。 しかし、明治維新の際に六坊は廃寺され、また火災にあうなど次第に衰微し、今は門内境内に阿弥陀堂・書院を、飛地の境内(ここから約50メートル南へ下る)には弁天堂、慈鎮和尚多宝塔を残すだけである。 弁天堂は、慈鎮が叡山から勧請(かんじょう)したものといい、技芸上達の祈願の信仰が厚い。 弁天堂の東北隅にある慈鎮和尚多宝塔は、塔身正面に扉を開き、多宝、釈迦二仏が並座する鎌倉時代初期の逸品である。
清閑寺
新義(しんぎ)真言宗智積(ちしゃく)院の末寺で、延暦21年(802)紹継(しょうけい)法師によって創建され、はじめは天台宗延暦寺に属していたが、のち荒廃し、一条天皇の御代(986~1011)伊予守佐伯公行(いよのかみさえききんゆき)が再興して、長徳2年(996)勅願寺となった。 大治4年(1129)火災にかかり、再建後安元2年(1176)六條天皇を、養和元年(1181)高倉天皇をそれぞれ寺内に葬った。 応仁の乱で焼亡した後、慶長年間(1596~1614)紀州根来(ねごろ)寺の性盛(しょうせい)が復興した。 しかし、かつての法華三昧堂(ほっけざんまいどう)や宝塔などのならんだ偉観はなく、今はわずかに本尊十一面観音像を安置する本堂一宇があるのみである。 背後の山に六条・高倉天皇陵があり、その傍らに小督局(こごうのつぼね)墓という宝筐印塔(ほうきょういんとう)がある。 高倉天皇の寵姫小督局は、平清盛に追われて当寺に入って尼となり、養和元年(281)21歳で世を去った。 また境内にある郭公亭(かっこうてい)は安政5年(1858)清水寺成就院の日照上人が、西郷隆盛と密かに会合して、都落ちの計画をたてた有名な茶室である。










