知恩院は、宗祖法然上人が1175(承安五)年、吉水の地に草庵を結ばれたことを起源とし、入寂された遺跡に建つ浄土宗の総本山。第二世源智上人により基礎が築かれ、徳川家康、秀忠、家光らの外護により現在の壮大な伽藍が形成された。 境内には、国宝の御影堂や三門、重要文化財の勢至堂、集会堂(法然上人御堂)、大方丈、小方丈、経蔵、唐門、大鐘楼など文化財指定建造物が建ち並ぶ。 三門は1621(元和七)年に徳川秀忠によって建立された我が国最大級の木造二重門。 法然上人の像(御影)を安置する御影堂は、1639(寛永十六)年に再建された中心的堂宇で、2012年から8年間にわたる半解体修理が行われている。 紙本著色法然上人絵伝(四十八巻)、絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図、上宮聖徳法王帝説(いずれも国宝)など多数の文化財を蔵する。 ◆由緒 鎌倉時代に法然上人が居住し、お念仏の教えを説かれた場所です。江戸時代、1639年(寛永16年)に家光公が御影堂(本堂)を、1621年(元和7年)に秀忠公が三門を建立し、現在の寺域が形づくられました。全国に7000余の寺院、600万余の檀信徒を擁する浄土宗の総本山です。 ◆念仏の元祖 法然上人 法然上人は、1133年(長承2年)に、今の岡山県久米郡久米南町に生まれました。恨みのない、報復のない世の中を創ってほしいという父の遺言を果たすために、15歳の時に比叡山に登り、仏道修行にはげみました。「南無阿弥陀仏」を唱えることによってすべてのひとが仏さまに救われるという浄土宗の教えを43歳のときに開かれ、1212年(建暦2年)に80歳でお亡くなりになりました。 ◆三門(国宝) 高さ約24m、桁の長さ約27m、木造の門としては世界最大のスケールを誇る門です。空・無相・無作という3つの教えを表しています。 ◆三門釈迦如来像 三門の中央には釈迦如来像を安置。その天井一面には龍、天人、楽器など雄大で豪華な絵画が描かれ、建立当時のあざやかな彩りを今も伝えています。 ◆唐門(重要文化財) 大方丈入口に構える、左右入母屋檜皮葺の落ち着いた門です。その他、お城のような石組と白壁に囲まれた北門や四脚門など、個性に冨んだ数多くの門を仰見ることができます。 ◆御影堂(国宝) 法然さまの御影をまつる知恩院の本堂。寛永16年(1639)に徳川家光公によって建てられました。中は4干人が入れるほど広々としています。大扉の釘かくしの意匠なども、趣向がこらされています。 ◆阿弥陀堂 どっしりと落ち着いた堂内に大きな阿弥陀さまを安置。安らかな雰囲気が漂い、訪れる人々の心をなごませてくれます。 ◆経蔵 (重要文化財) 中国の唐の文化を日本の建築洋式にとりいれた重層宝形造の建物で、独特の造形美をみせています。中には徳川秀忠公が納めた『宋版大蔵経』六干巻を安置する輪蔵が備えられています。 ◆勢至堂(重要文化財) 法然さまがお亡くなりになられた地で、室町時代に再建された知恩院最古の建物です。現在の御影堂が建てられるまでは本堂でした。法然さまの幼名・勢至丸ゆかりの勢至菩薩がまつられており、念仏発祥の地にふさわしく、穏やかなたたずまいをみせています。 ◆知恩院に伝わる七不思議 1.三方正面真向の猫 大方丈廊下の杉戸に描かれている狩野信政(狩野探幽の養子)筆の猫の親子絵をいう。どちらからみても、見る人を正面から睨んでいるように見える。子猫を庇(かば)っているのである。 2.大杓子 大方丈入口廊下の梁に置かれた大きな杓子をいう。長さ2.5メートル、重さ約30キログラム。真田幸村の家臣三好清海入道が大阪夏の陣の時に、この杓子を持って暴れまわったとか、数千の兵に飯を振舞ったと伝える。 3.鴬張りの廊下 御影堂裏から集会堂、大方丈、小方丈に至る長さ550メートルもの廊下は、歩くと鶯の鳴き声に似た音が出る。静かに歩こうとすればするほど音がでるので「忍び返し」ともいわれ、曲者の侵入を知るための警報装置の役割を担っている。 4.白木の棺 元和元年(1621)徳川秀忠が建てた三門は、瓦葺、五間三戸の二重門で木造の門としては世界最大の規模。知恩院のシンボル的存在である(国宝)。この楼上に納められている白木の棺の中には、この門を造った棟梁五味金右衛門夫婦の木造坐像が安置されている。棟梁は命がけで三門を造ったが、予算超過の責任を取って夫婦ともども自刃したという。 5.忘れ傘 御影堂正面の軒裏、地上十数メートルのところに、骨ばかりとなった傘が遺されている。伝説の名工左甚五郎が魔除けのために置いたものという。 6.瓜生石 黒門前の道路中央にあり、石柵で囲った大きな石をいう。知恩院ができる前からある石で、八坂神社の牛頭(ごず)天王(てんのう)が降臨して一夜で瓜が生えて実ったとか、二条城へ続く抜け道の出入り口であるとも伝える。また、この石は地軸から生えているとも伝え、節分に自分の年齢よりも一つ多く小石を供えるといった風習があったようだ。江戸期には、この石は瓜生(くはしよう)石(せき)と呼ばれた著名な石。 7.抜け雀 大方丈の菊の間の襖絵は狩野信政が描いたもの。万寿菊の上に数羽の雀が描かれていたが、あまりに上手に描かれていたので、雀が生命を得て飛び去ったという。
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法雲寺 (菊野大明神)
清水山洗心院と号し、浄土宗に属している。 この地は、関白太政大臣藤原兼家が、その邸宅二條第を正暦元年(990)寺に改めて創立した法興院の旧地である。 その後、しばしば火災にあって平安末期以来伽藍は廃絶していたが、旧第の池水のあとと思われる清泉のみが残っていた。 永禄10年(1567)源蓮社清善上人がこの泉のほとりに草庵をむすび、元和元年(1615)に清久上人がこのあとに堂宇を建立したのが当寺のおこりと伝えている。 本堂は文化15年(1818)に再建されたもので、本尊阿弥陀如来像を安置している。 庫裡の東に「菊野大明神」が祀られている。良縁は結び、悪縁は切るという縁切り祈願の神として民間信仰の特異な存在である。










