文明16年(1484)の開創で、斎藤越前守利国の室利貞尼が、悟渓和尚を請じて建立した。 妙心寺四派本庵の一つである。 悟渓は尾張の人、雪江門下の高僧で、教を東海道にひろめ後に東海派の祖といわれた。 書院庭園は西庭(史跡名勝)と南庭からなり、西庭は三神仙島一連の庭を枯山水で表現したもので東睦和尚が文化11年(1814)に作庭した。 南庭は白砂を敷き大小7個の庭石を配置した特色ある庭園である。 また、方丈の南にある庭は一面に白砂を敷き雨落ちの中に棗(なつめ)形の手水鉢を置いたのみの清淨感あふれる庭である。 寺宝に狩野元信筆といわれる水墨の瀟湘八景図・絹本著色十六羅漢像(いづれも重要文化財)等がある。
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宝泉寺
木島坐天照御魂神社 (蚕の社)
秦氏とのつながりが深く養蚕、機織、染色技術の中心地として境内に摂社、養蚕神社がありそれが俗称の由来。 製糸業者の信仰がいまもある。境内の池中に明神鳥居を三つ組合せた珍しい石鳥居(三柱鳥居)がある。 建立:推古天皇時代頃 ◆由緒 延喜式内社で祭神は天之御中主神外四柱(大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命・瓊々杵尊)を祀っている 創建年月日は不詳であるが「続日本紀」大宝元年(701)四月三日の条に神社名が記載されていることからそれ以前祭祀されていたと思われる古社である 天之御中主神を主として奉り上は天神に至り下は地神に渉り御魂の総徳を感じて天照御魂神と称し奉り広隆寺創建とともに勧請されたものと伝えられる学問の神であり祓いの神でもある ◆養蚕神社(蚕ノ社)本殿右側の社殿 雄略天皇の御代(1500年前)秦酒公呉国(今の中国南部)より漢織・呉織を召し秦氏の諸族と共に数多くの絹・綾を織り出し「禹豆麻佐」の姓を賜る この地を太秦と称し推古天皇の御代に至りその報恩と繁栄を祈るため養蚕・織物・染色の祖神を勧請したのがこの社である 養蚕・織物・染色の守護神である ◆元糺の池 境内に「元糺の池」と称する神池がある 嵯峨天皇の御代に下鴨に遷してより「元糺」と云う 糺は「正シクナス」「誤ヲナオス」の意味で此の神池は身滌(身に罪や穢のある時に心身を浄める)の行場である 夏期第一の「土用の丑」の日にこの神池に手足を浸すと諸病にかからぬと云う俗信仰がある ◆三柱鳥居 全国唯一の鳥居である 鳥居を三つ組み合わせた形体で中央の組石は本殿ご祭神の神座であり宇宙の中心を表し四方より拝することができるよう建立されている 創立年月は不詳であるが現在の鳥居は享保年間(約三百年前)に修復されたものである 一説に景教(キリスト教の一派ネストル教 約1300年前に日本に伝わる)の遺物ではないかと云われている」
寂庵
智勝院
證安院
薬師寺
天球院
妙心寺塔頭。 1631年(寛永8)岡山藩主池田光政が伯母天球院のため建立。 開山は江山景巴。本堂(重文)は玄関をつけた大型方丈形式で、江戸時代方丈建築の典型とされている。 内部の襖絵と杉戸絵あわせて152面(重文)は、狩野山楽・山雪の作といわれる。禅寺に珍しい金碧画「竹虎図」「梅の遊禽図」などが有名。 (非公開)建立:1631(寛永8)年 ◆由緒 妙心寺の塔頭寺院で、姫路城主・池田輝政公の妹・天球院殿によって創建された。 方丈(重文)は、玄関とともに江戸時代を代表する禅宗方丈建築で、方丈内部を飾る華麗な障壁画(重文・一部高精細複製品)は、京狩野の絵師・狩野山楽・山雪の代表作として名高い。 「竹虎図」、「梅に遊禽図」、朝顔と鉄線の花を描いた「籬草花図」など、金地に映える鮮やかで濃密な色彩と垂直の線や曲線を活かした画面構成が見事な金碧障壁画で、創建当時の絢爛豪華さを今に伝えている。