石塔寺

法性山と号します。石塔寺はその名の通り「石塔」が寺歴の始まりです。 この「石塔」は日蓮聖人の法孫、日像聖人が延慶3年(1310)3月8日「南無妙法蓮華経」と題目石塔を建てられた事から始まりました。 日像聖人独特の題目が彫られています。 当初、2間4方の堂宇が建てられ「塔堂」と呼ばれていました。 その後文明年間(1470)には伽藍が整い「石塔寺」と称するようになりました。 元和年間(1615-24)には勧修寺宮御殿を賜り、本堂を再建しまし、またその頃、不受不施の寺院として幕府に願いを出しましたが、寛文6年(1666)に不受不施禁制後は、中本山として妙顕寺に属しました。 その禁制による幕府の迫害に遭った時、当時の寺僧が、豊臣秀吉から賜った御本尊を持ち出し、西国へ逃げ延びた事が、近年判明しました。その御本尊は江戸末期には大分県別府にあり、明治に入り、大分県日田市の妙栄寺創建の御本尊として安置され現在に至っています。 なお、石塔寺現在の御本尊は元禄9年(1696)に開眼されたものです。 宝永6年(1709)当時、近畿、備中に33ヵ寺の末寺を有する寺院になっていました。 明治11年(1878)には鶏冠井興隆寺を合併吸収し、現在は本化日蓮宗の単立本山となっています。 又、「御塔屋敷」「御塔下」「御塔道」と石塔寺の名前に由来する地名が今も向日市に残っています。 毎年5月3日の「花祭り」では、京都府無形民俗文化財の「鶏冠井題目踊り」が、石塔寺、南真経寺、北真経寺の檀家有志(題目踊り保存会)により奉納されます。

向日神社

社伝によれば奈良時代の養老2年(718)に鎮座したという由緒を持ち、平安時代の「延喜式」(927年成立)の神名帳に「向神社」と記載される乙訓地域きっての古社です。 室町時代の応永29年(1422)に上棟された本殿は、三間社流造の代表例として国の重要文化財に指定されています。 社蔵の「日本書紀」神代紀下巻の写本も国の重要文化財です。