Tag: 寺院
満願寺
妙伝寺
南禅寺 大寧軒
本妙寺(赤穂義士の寺)
要法寺
妙円寺 (松ヶ崎大黒天)
「妙法」の送り火で知られる松ヶ崎東山「法」の下にある。 1616年(元和2)日英上人が創建の際、法華経の守護神として別棟にまつったのが大黒さん。 「松ヶ崎の大黒さん」として全国より参拝あり。日蓮宗。 1969年(昭和44)の火事で無事だったので、「火中出現の大黒天」とも呼ばれる。 60日に1回の甲子(きのえね)の日にご開帳。 諸願成就・寿福円満の御祈祷が執行される。 都七福神の一つ。 建立:1616(元和2)年3月15日 ◆由緒 松ヶ崎妙円寺と号し、日英上人の開基にかかる日蓮宗の寺である。 本尊の大黒天は伝教大師の作、日蓮聖人が開眼したものといわれている。 当寺は京都の表鬼門に位する所から、古来、福運を授ける神と信じられ、 昭和44年(1969)の火災にも無事で「火中の大黒さま」と呼ばれて、正月初子の日を始めとし、甲子の日には参詣者が多い。 当寺は京都・都七福神の第一番で背後の山では毎年8月16日盂蘭盆会の行事として「妙法」二字の送り火を点ずる。
最勝院
圓通寺 (円通寺)
元幡枝離宮 大悲山勅願所行幸御殿圓通院と号し、臨済宗妙心寺派の寺である。 圓光院文英尼公(圓光院殿瑞雲文英尼大師)は園基任の女、後水尾天皇御生母中和門院に侍した方で、帰洛してのち延宝6年(1678)輪王寺宮守澄法親王の尽力を得て一宇を興し、妙心寺龍泉菴の祖、景川宗隆(本如実性禅師)を勧請開山とされた。 尼大師が変相普門品(観音経)を印造して中国の寺院に贈ったことは有名である。 又、東山天皇の御宇に三十三所の観音・一宇の堂・潮音堂の名を賜り、後水尾天皇は大悲山号圓通寺の勅額を賜い、霊元天皇は勅願寺と定め梵鐘を納進し、しばしば行幸になった。 なお、霊元天皇宸翰(しんかん)御消息は重要文化財に指定されている。 庭園は比叡山を借景とした枯山水平庭で趣があり、後水尾院の幡枝離宮の庭をそのまま今に伝え、国の名勝に指定されている。 ◆由緒 洛北幡枝の地にひそやかにたたずむ圓通寺。借景の庭、柿、つつじの寺として親しまれている当寺は、江戸時代初期(1639)、後水尾天皇が造営された幡枝離宮のあとであり、幡枝小御所、幡枝茶園とも呼ばれていた。 その後の修学院離宮完成後、後水尾上皇長年の念願とされた禅院開創の気運が熟し、やがて輪王寺宮門跡や幕府要職の尽力により、ここに贈左大臣園其任第三息女、文英尼公(圓光院殿瑞雲文英尼大師=後光明院御母壬生院の姉上・霊元天皇御母新広義門院の叔母)を開基として迎え、上皇より大悲・円通の勅額を賜り、霊元天皇の勅願所となった。 以来、皇室の祈願所として御水尾天皇以降の歴代皇族の御尊碑が皇室ゆかりの殿舎である御幸御殿に祀られている。 庭園は霊峰比叡山を借景とした枯山水平庭で四季折々の風情があじわえ後水尾院の幡枝離宮の庭をそのまま今に伝えている。
金福寺
864年(貞観6)円仁(慈覚大師)の遺志を継ぎ、安恵僧都が創建。 江戸中期に鉄舟和尚が再興し、現在は臨済宗南禅寺派。 松尾芭蕉が鉄舟と親交を深めたという芭蕉庵は荒廃したが、のち与謝蕪村が再興。紅葉が美しい。 背後の丘に与謝蕪村ら近世の俳人の墓や句碑がある。 また、舟橋聖一作歴史小説「花の生涯」や諸田玲子の「奸婦にあらず」のヒロイン村山たか女は文久2年、勤皇の志士によって三条河原でさらし者にされたが、3日後助けられて金福寺に入り尼として明治9年まで14年間すごし、当寺で生涯を終った。 法名は清光素省禅と云う。 本堂では与謝蕪村と村山たか女の遺品が拝観できる。 庭園は皐月の築山と白砂の簡素な枯山水。 3段の生垣ごしには素朴な趣の芭蕉庵の萱葺き屋根が見える。 3月は紅梅とあせびの花、11月はさざんかと特に紅葉が美しい。 芭蕉庵からは洛中が一望できる。