武信稲荷神社

859年右大臣左近衛大将藤原良相(よしすけ)が一門の学問所勧学院(かんがくいん)と、神社付近に創建した医療施設延命院の守護社と伝えられている。 境内の樹齢800年の榎のご神木には坂本竜馬と妻おりょうの愛の伝言が刻まれた。

厳島神社

京都御苑間ノ町口を入った池のそばに建つ。 平清盛が母祇園女御のため厳島神社の神を祀ったのが始まり。 祇園女御も祀る。池と傍らの拾翠亭はもと九条家のもので、この社は同家の鎮守社だった。 社前の石鳥居は笠木が唐破風で京都三珍鳥居の一つ。 建立:不詳 祭神 市杵島姫命 田心姫命 端津姫命 祇園女御 祭儀  例祭 6月15日  秋祭(火焚祭)11月15日  鳥居 破風形(京都三珍鳥居の一つ)重要美術品(昭和13年文部省)

管大臣神社

菅原道真公を祭神とする神社。 この地はもと道真公の邸や、菅家廊下といわれた学問所の跡で、誕生の地と伝えられ、天満宮誕浴の井が保存されている。 また「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ」と詠まれた飛梅の地も当神社である。 古くは天神御所紅・白梅殿とも呼ばれ、境内には本殿、幣殿ほか多くの社殿が建つ。 本殿はもと下鴨神社の本殿を、1869年(明治2)に移築したもの。 幣殿と合わせて八棟造り、銅巻柿葺の豪華な建築。

北菅大臣神社

御祭神は道真公の父・是善卿。 道真公が太宰府に左遷される時にここで、「東風吹かばにほひ起せよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」と詠んだとされる。 当地は菅原家の邸宅紅梅殿のあったところで、紅梅殿社ともいう。 もとは南の菅大臣神社と地続きの同一境内にあったと伝える。

下御霊神社

社伝によれば、大同2年(809)不運のうちに亡くなった伊予(いよ)親王(桓武天皇の皇子)とその母の藤原吉子(ふじわらのよしこ)の霊をなだめるために、承和6年(839)に創建されたといわれている。 祭神は、後に、崇道(すどう)天皇(早良(さわら)親王)、吉備真備(きびのまきび)、藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)、橘逸勢(たちばなのはやなり)、文屋宮田麿(ぶんやのみやたまろ)、火雷天神(からいてんじん)を加えて八所御霊としている。 当初、出雲路(上京区)にあり、御霊神社の南にあったことから下御霊神社と呼ばれるようになったといわれ、以後、社地を転々とし、天正18年(1590)豊臣秀吉の都市整備により当地に移転してきた。 古来より、京都御所の産土神として崇敬され、享保年間(1716~36)霊元天皇は当社に行幸し、宸筆の祈願文を納めている。 本殿は、寛政3年(1791)仮皇居の内侍所を移建したもので、表門は、旧建礼門を移したものといわれている。 境内の垂加(すいか)社には、江戸時代の国学者、山崎闇斎(やまざきあんさい)を祀る。

宗像神社

京都御苑内に鎮座。 祭神は宗像三女神である多紀理毘売命・多岐津比売命・市岐嶋比売命。 北家藤原氏の祖、藤原冬嗣が795年(延暦14)に、平安京の東西両市の守護神として筑前国の宗像神社を勧請したのが創祀とされ、その後冬嗣の自邸小一条第に移したと伝えられる。 小一条第は花山院家が相続したことから同家が別当となる。 東京遷都にともない公家町は御苑になされ、邸内社が府社となった。 御神木の楠は樹齢600年とも800年とも言われる。 境内社に、花山稲荷神社・京都観光神社・小将井神社・繁栄稲荷神社・金比羅宮がある。 例祭、9月15日。近年は例祭日の後の日曜日又は祝日に、神賑いの日として神楽舞など奉納を行っている。 春と秋には花山稲荷神社・京都観光神社の祭礼があり、神楽舞やヴァイオリンのミニコンサートなど奉納。 1~2月の境内では水仙が咲き乱れる。 4月上旬は桜。10~11月にカリンの実がたわわに実る。 紅葉の木も色づく11月中旬から下旬が見頃である。

御金神社

伊邪那岐、伊邪那美、二柱神の皇子にして金山毘古神と称え奉る五元(陽爻(天の位))の第一位の神で金乃神、金乃類を司り給う神で、世に云う金神様です。 鉱山の神、剣、刀、鏡、鋤、鍬、大きくは現代の大型農機具や印刷機械、各工場の生産ラインの機械に至るまで幸へ護り給う大神です。また、通貨に用いられる金、銀、銅の他、諸々の合金属を御護り給うことから資産運用の神としても崇められて居ります。 家屋の建設、器械、道具の全てを幸へ護り給うことから、家造雑作、転宅、方位の厄除け及び旅行中の無事を守り給う大神です。 ◆由緒 御祭神 金山毘古命・天照大神・月読神 伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)、御二柱神の皇子にして金山毘古命(かなやまひこのみこと)と称え奉る五元陽爻(天の位)の第一位の神で金乃神、金乃類を司り給う神で、昔は民家にあって密かに祭祀せされていたが、明治16年(1883)今の名を附して社殿を建立し、爾来、金神(こんじん)様の愛称で親しまれ、氏子と崇敬者で祀られるようになった。 鉱山、鉱物の神として人間の営みの中で用いられる全ての金属類、昔は鏡や刀剣類の武具、農耕器具としての鋤や鍬等、現代では鉱工業、農産業の大型機械から家庭の道具類や金属類全てに亘り、特に通貨として用いられる金、銀、銅の御金(おかね)を護り給う事から、近年は資産運用の神として証券類や不動産、造作、転宅、方位、厄除け、また旅行中の無事安全をも護り給う大神としてひろく崇められています。 金属類を護り給う神を祀る神社は国内唯一です。 御祭礼は、毎年10月の第一日曜日に氏子の城巽学区民により奉仕される。

宗忠神社

黒住教の教祖黒住宗忠を祀る。 宗忠は、安永9年(1780)備前国(岡山県)の今村宮の神主の家に生まれ、文化11年(1814)の冬至の日、朝の太陽を拝しているうちに神人一体の霊感を受け、黒住教を創始した。 以後布教を重ね、嘉永3年(1850)2月25日没した。安永3年(1856)朝廷から「宗忠大明神」の神号を与えられ、文久2年(1862)門人の赤木忠春が当地にこの大明神を勧請し、建立したものである。 幕末の頃には朝廷の勅願所となり、皇室や二条家、九条家などの公家からも厚い崇敬を受けた。 現在の本殿は流造で、明治45年(1912)に改築されたものであり、また拝殿も昭和12年(1937)に改築されたものである。 本殿と並ぶ神明宮は、二条家より還したものといわれ、天照大神を祀る。 例祭は、本殿は4月、神明宮は10月に毎年とり行われる。

八神社

高御産日神、神産日神、他6柱を祀る。 由緒等詳細は不明だが、ご創建は大同年間(806~810)とも延喜年間(901~923)とも伝えられる。 浄土寺や銀閣寺の鎮守社であり、地域一帯の産土神として広く崇敬を集めている。 春季例祭、4月24日。 大祓式、6月30日。 扇子感謝祭、8月8日。 秋季例祭、10月24日あるいはその直前の日曜日。 火焚祭、11月23日。