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仁和寺

名称 仁和寺
住所 616-8092 京都府京都市右京区御室大内33
拝観時間 9:00~17:00 受付終了:16:30 12~2月の拝観・開館時間は16:30
拝観料金    一般/大人/大学/高校/中学/小学 御殿:    500/500/500/300/300    (団体) 450/450/450/250/250 桜祭:   500/500/500/200/200   (団体) 450/450/450/180/180 霊宝館: 500/500/300/300/0   (団体) 450/450/270/270/0
URL http://www.ninnaji.or.jp/

真言宗御室派総本山。
886年(仁和2)、光孝天皇の勅願により創建、888年(仁和4)に完成。
年号を寺名とした。宇多天皇が落髪入寺し寺内に御室(御座所)を設け、御室御所とも呼ばれた。
以後、明治維新まで代々皇子皇孫が門跡となり門跡寺院の筆頭にあった。
堂塔伽藍は応仁の乱(1467-77)で多くを焼失、寛永年間(1624-44)に再興した。
金堂(国宝)は御所紫宸殿を移築。御影堂(重文)も旧清涼殿の材を用いて建立した。
霊宝館には、阿弥陀三尊像(国宝)、孔雀明王像(国宝)、三十帖冊子(国宝)など多くの寺宝を所蔵。
遅咲きの‘御室桜’は有名で名勝。
旧御室御所御殿の御所風たたずまい、豪華な襖絵が見事。
1994年(平成6)12月「古都京都の文化財」として、「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録された。
※孔雀明王像と弘法大師の真筆三十帖冊子については展示予定無し

真言宗御室派の総本山で、平成6年(1994)に世界文化遺産に登録された。
平安時代前期に光孝天皇が創建に着手した後、仁和4年(888)に宇多天皇が完成させ、仁和寺と名付けた。宇多天皇は退位の後、出家して、仁和寺内に僧坊を営み、30余年間修行に専心したため、法皇が御座する室(僧坊)ということから「御室」が後に仁和寺周辺の地名となった。
以後、明治維新まで約千年間、皇子皇孫が門跡として法燈を伝えたが、その間、応仁の乱の戦火で全伽藍を焼失し、双岡西麓に仮御所をもうけた時期もあった。
現在の伽藍は、江戸時代初期に徳川家光の協力を得て再建されたもので、御所の紫宸殿を移して金堂(国宝)をはじめ、御影(みえ)堂・観音堂・鐘楼・五重塔・経蔵・二王門(いずれも重要文化財)などは当時の建物である。仁和寺境内は仁和寺御所跡として史跡に指定されている。 
西門から成就山の麓にかけて、四国八十八ヶ所霊場を縮小した「御室八十八ヶ所巡りの霊場」があり、中門の左手には、遅咲きの桜の名所として有名な「御室(おむろ)の桜」(名勝)が見られる。

◆名勝御室桜
中門を入ると左手に、湧き上がる雲のような御室桜が目に飛び込んできます。

御室桜の特徴は樹高が低く、根元より単弁の香りの高い白花を咲かせることです。

開花は4月20日前後と遅く、京都の春の終わりを飾ります。品種は大半が有明で、他には車返し、欝金(うこん)など十数種類の里桜があり、境内に二百余株植えられています。起源は古く、平安時代にまでさかのぼりますが、現在のものは江戸時代初期に植えられたもので、大正13年に名勝に指定されています。

◆由緒
仁和2年(886)第58代光孝天皇は、都の西北大内山の麓に「西山御願寺」という一寺の建立を発願された。

天皇は翌年崩御されたが、次の宇多天皇が先帝の意志をつがれ、仁和4年(888)にこの寺が創建され、年号をとって「仁和寺」と命名された。宇多天皇は在位10年、寛平9年(897)醍醐天皇に譲位、2年後に出家得度され、わが国最初の「法皇」となられた。さらに延喜4年(904)には、仁和寺の中に法皇の御所である「御室(おむろ)」を建立され、承平元年(931)崩御されるまで、27年の間ここに住まわれたのである。

仁和寺の住職は「門跡(もんぜき)」と呼ばれている。「門」とは天皇を指し、宇多法皇から、慶応3年(1867)勅命によって退任された小松宮まで30代、およそ千年の間、仁和寺は皇室の寺院として知られるところとなった。

応仁2年(1468)兵火により全てが焼失、その後、双が丘の西麓に仮御所を設け法灯を護持していた。

仁和寺第21世覚深法親王(1588~1648)が三代将軍徳川家光に、仁和寺再興の申し入れを行い、約180年後再建されることとなった。

この時、御所から紫宸殿、清涼殿、常御殿、などが仁和寺へ移され、山門、中門、五重塔、観音堂などは新築された。仁和寺再建は、正保3年(1646)に完了した。

ところが、明治20年(1887)5月、火災により、仁和寺御殿を構成する大部分を焼失した。

明治23年(1890)に、現在の白書院などが建てられ、明治42年(1909)から本格的な再建が開始され、京都府技師亀岡末吉氏の全く新しい構想によって大正3年(1914)に完成をみた。

今日、金堂をはじめとする多くの建物は、国宝や重要文化財に指定されている。また、仁和寺の伽藍と御殿は、昭和12年(1937)史蹟名勝記念物保存法により、「史蹟仁和寺御所址」に、境内の桜は「名勝御室桜」にそれぞれ指定されている。さらに、平成6年に国連の「世界文化遺産」に登録された。

なお、仁和寺は、真言宗御室派の総本山として、また、御室流華道家元としても知られている。

京都府京都市右京区御室大内33

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