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円応寺

名称 円応寺
住所 神奈川県鎌倉市山ノ内1543
拝観時間
拝観料金
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創建は建長二年(1250)、開山は知覚禅師。閻魔堂、十王堂とも呼ばれ、人が死後、亡者と成って冥界(めいかい)で出会う十王を祀る寺。

初め見越獄(大仏の東の山)にあったが、足利尊氏が由比ヶ浜古戦場の亡魂(ぼうき)を弔う為、由比ヶ浜に移築した。その後元禄16年(1703)に起きた大地震と津波の被害により、現在の地に移った。

鎌倉時代の仏師「運慶」が頓死をし、その慳貧心(けんろうしん)ゆえ地獄に落ち閻魔大王の前に引き出された時、閻魔大王が「汝は生前の罪により、獄卒の呵責(かせき)を受けるべきであるが、汝が我が姿を彫像し、その姿を見た人々が悪行を成さず、善縁に趣く(おもむく)のであれば、汝を娑婆(しゃば)に戻して上げよう。」と言われた。運慶は生き返った事を喜び、あの世で会った閻魔大王の姿を彫った。その閻魔大王を本尊とするのが、この「円応寺」である。

尚、運慶が笑いながら閻魔大王の姿を彫ったため「どことなく閻魔さまも笑っているいるようにみえる」と言われており、古来より「笑い閻魔」とも言われている。

◆十王とは
十王とは人が死後、亡者と成って冥界に行き出会う十人の王の事。亡者の生前の行いを取り調べる裁判官である。

亡者は初七日は「秦広王」二・七日は「初江王」三・七日は「宋帝王」四・七日は「五官王」五・七日は「閻魔王」六・七日は「変成王」、七・七日は「泰山王」百ヶ日は「平等王」一周忌は「都市王」三回忌は「五道転輪王」と十回それぞれの王の前で取り調べを受ける。

「閻魔大王」が以前の四王の取り調べと合わせて、亡者が六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの世界)の何処に生まれ変わるかを決定する。「変成王」は亡者が生まれ変わる「場所の条件」を決定する。例えば人間界に生まれても、争いばかりしている所もあれば、平和で豊かな所もある。「泰山王」は亡者が生まれ変わる「個人の条件」寿命、男女の差などを決定する。

七・七日の四十九日までの間は「中有」または「中陰」と言い、亡者の霊魂は生前その人が生活していた所に漂っており。「四十九日」が終わって、それぞれ定められた所にいく。又、「悪趣」(地獄、餓鬼、畜生、修羅)に行く事が定められた亡者も、百ヶ日、一周忌、三回忌と供養を重ねる事により誰でも「天上界」(極楽)に行く事ができる。

◆子育て閻魔の由来
昔鎌倉の地が荒れ果てていた時、山賊が閻魔堂を根城にし、寺の前の小袋坂を通る人々を襲って金品を奪っていた。ある時山賊が幼子を連れた女人をお堂の中へさらってきて、「子供は邪魔だ」と両腕で頭上に持ち上げ、今まさに地面に叩きつけ様とした。その時、閻魔大王の舌が「スー」とのび、幼子を「クルリ」と巻き取り、大きな口を開けて飲み込んでしまった。すると山賊は「ワー、閻魔大王が動いた。子を食った」と驚き恐れお堂から逃げ出してしまった。残された女人は、恐ろしさのあまりお堂の中に座りこんでガタガタとふるえておった。すると閻魔大王が「もう良いだろう」と言って、大きな口を開き、女人の目の前に「スー」と舌を延ぱした。女人が恐る恐る舌の上を見ると、先程飲み込まれた幼子が「スヤスヤ」と気持ち良さそうに寝入っていた。お陰で女人は幼子と一緒に無事小袋坂を越える事が出来た。その後、この閻魔様は「子育て閻魔」として、近在の人々に信仰されるようになった。

現在でも「子育て閻魔」にお参りすると、子育て安泰、学業成就、受験等子供が無事に成長するように、閻魔大王が守ってくれる、と信仰を集めている。

神奈川県鎌倉市山ノ内1543

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