名称 | 圓光寺 |
住所 | 606-8147 京都府京都市左京区一乗寺小谷町13 |
拝観時間 | 9:00~17:00 |
拝観料金 | 小学生 300円 中・高生 400円 大人 500円 |
URL | http://www.enkouji.jp/ |
瑞厳山(ずいげんざん)と号し、臨済宗南禅寺派に属する。
慶長6年(1601)に徳川家康が下野足利(しもつけあしかが)学校を伏見指月(しげつ)に移し、その第九世元佶三要(げんきつさんよう)和尚を開基として寺に改めた。
のち相国寺の境内に移ったが、元和年間(1615~1623)焼失し、細川忠利の再建を経て、寛文7年(1667)幕命により今の地に定められた。
この寺が建てられたとき、家康は朝鮮文書や多数の書籍ならびに朝鮮の木活字十万を寄せてこれを和尚に管理させた。
貞観政要(じょうかんせいよう)や武経七書等の書は、これによって印刷出版されたものという。
本堂には本尊として千手観世音坐像を安置する。
禅堂は12代住持南嶺尼(なんれいに)が尼僧の専門道場とした。
寺宝には元佶和尚像一幅及び円山応挙筆の竹林図屏風六曲一双(重要文化財)がある。
また、栖龍池と水琴窟のある庭園「十牛の庭」は、紅葉の名所としても有名である。
◆由緒
●開山 三要元佶(閑室)禅師
●開基 徳川家康公
慶長6年(1601)徳川家康は国内教学の発展を図るため、下野足利学校第九代学頭・三要元佶(閑室)禅師を招き、伏見に圓光寺を建立し学校とした。
(元佶禅師は郷里・肥前三岳寺、駿府圓光寺の開山である。)
圓光寺学校が開かれると、僧俗を問わず入学を許した。また孔子家語・貞観政要など多くの書籍を刊行し、これらの書物は伏見版または圓光寺版と称された。
当寺には、出版に使用された木活字が現存しており、我国出版文化史上特筆すべき寺院であるといえよう。その後、圓光寺には相国寺山内に移り、更に寛文7年(1667)現在の一乗寺小谷町に移転された。
寺内には本尊千手観音像(伝運慶作)・開山元佶禅師像(重文)・竹林図屏風六曲(応挙作・重文)・近世初期制作の木製活字五万個(重文)がある。
庭園には水琴窟・栖龍池(洛北で最も古い池)があり、春の新緑、秋の紅葉時には美観を呈している。
また、境内山上には徳川家康を祀った東照宮や、墓地内には村山たか女(花の生涯のヒロイン)、マレーシア留学生オマール氏(広島原爆にて死亡)の墓がある。