名称 | 大仙院 |
住所 | 603-8231 京都府京都市北区紫野大徳寺町54-1 |
拝観時間 | 9:00~16:30 |
拝観料金 | 大人 400円 小中学生 270円 抹茶 300円 |
URL | http://www.b-model.net/daisen-in |
本院は、大徳寺北派の本庵である。
永正6年(1509)に六角近江守政頼がその子古岳宗亘(こかくそうこう)を開祖として創立した。
本堂は、入母屋造(いりもやづくり)・銅板葺で、我国最古の方丈建築遺構といわれ国宝である。
書院も入母屋造・銅板葺で重要文化財である。
庭園は、室町時代の枯山水(かれさんすい)を代表する石庭といわれ、狭い庭に無数の岩石を配して、山と滝と渓流とを表わしており、史跡・特別名勝に指定されている。
◆由緒
大徳寺北派本庵大仙院は、永正6年(1509)正法大聖国師古岳宗亘禅師が開かれた数ある大徳寺塔頭中でも特に由緒ある名刹であり、室町時代の代表的な枯山水庭園及び方丈建築を有している。襖絵もまた相阿彌(弥)、元信、之信と貴重なものばかりである。大仙院歴代中、三世古渓和尚は、千利休の首を加茂の河原から持ち帰ったことで、七世沢庵和尚は宮本武蔵との関係で有名である。
また、利休を中心とする茶人の系譜は大仙院歴代と密接な関係があり、とりわけ利休と大仙院との関係は種々の逸話によって語り継がれている。
庭園(特別名勝および史蹟)
作者 大聖国師(大仙院開祖 古岳宗亘禅師)
作庭年代:永正6年(1509)約490年前(応仁の乱後の作庭である。)
形態:鶴島と亀島の間に蓬莱山があり、そこから滝の流れ落ちる。石橋の下をくぐり透渡殿の下をくぐった水に一旦堰に落ちて大河となり、石の宝船が浮かび小亀の泳ぐ景色を見せて遂に方丈南側の大海に至る。同じ蓬莱山の滝の水が亀島の前を通って西行すれば方丈北の中海に至る。
◆枯山水の成立
禅宗の影響
:鎌倉初期に日本に渡来した禅宗の思想が作庭に具体的影響を持ってきたのは室町時代初期頃からである。作庭が禅思想の影響を受けると、庭園の形態が極めて抽象的となる。例えば白砂を敷いて水流を表現する。石を立てて滝の音を現す。大仙院庭園は中期のもので極めて傑作である。
水墨山水画の影響
:同じく禅思想の影響を絵画が受けるとと破墨山水の如き象徴的表現となる。しかし逆に室町時代の絵画の主流であるこの山水画の手法が庭園に影響を与えたとも言える。
政治的経済的影響
:室町時代の文化の担い手であった足利幕府を中心とする貴族・大名等の指導階級が室町中期近くなると、いわゆる下克上と言われるように、政治的に従来の権威を失墜してくると同時に経済的にも逼迫してくる。これに対応して従来のように規模壮大にして自然のままをとり入れた庭園(例-大覚寺の嵯峨離宮の庭園・西芳寺の苔庭・金閣寺の庭園等)を造営することが困難となる。
◆建築・襖絵
国宝大仙院の方丈は室町時代のものでわが国最古の方丈建築として貴重なものである。
北の書院拾雲軒も沢庵が宮本武蔵に剣道の極意を授けた処として喧伝されているが室町時代の代表的書院建築である。
襖絵には相阿弥(~1525)の瀟湘八景・狩野元信(1476~1559)の花鳥図・同之信(1513~1575)の四季耕作図と何れも室町期障壁画中の名作として世界美術史上欠く事の出来ない存在である。現在、重要文化財に指定されて居る。