名称 | 常寂光寺 |
住所 | 616-8397 京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3 |
拝観時間 | 9:00~17:00 |
拝観料金 | 一般 団体割引 (30人以上) 大人 400円 300円 大学生 400円 300円 高校生 400円 300円 中学生 400円 300円 小人 200円 200円 障害者無料 |
URL | http://www.jojakko-ji.or.jp/ |
慶長年間に本圀寺の日しん上人の穏退所を寺にした。
紅葉の美しい小倉山の中腹にあり、常寂光土に遊ぶような風情があるとこの名がつけられた。
高さ12メートル余の多宝塔(重文)が美しい。
小督局の遺品などがある。日蓮宗。
建立:1604(慶長9)年
日蓮宗の寺院である。慶長元年(1596)本圀寺十六世究竟(くきょう)院日禛(にっしん)が、この地に隠棲して開創した。寺域が小倉山の中腹を占め、幽雅閑寂で、日蓮宗教義にいう常寂光土の観があるところから常寂光寺の寺名がつけられたという。
多宝塔(重要文化財)は元和六年(1620)の建立で、並尊閣といい、前面に霊元天皇の勅額を掲げている。本堂は伏見城の建物の一部を当寺二世通明院日韶(にっしょう)が移転修造したものといわれる。
仁王門はもと本圀寺客殿の南門を移転、妙見堂は能勢妙見を分祀し、謌僊祠には、藤原定家・家隆、徳川家康の木像を安置する。
また、時雨亭は定家山荘がこの付近であるとして建てられたものである。
◆由緒
開山は究竟(くきょう)院にっしん上人。権大納言広橋国光の息男として永禄4年(1561)出生す。幼にして六条の日蓮宗大本山、本圀寺(ほんこくじ)十五世日栖(にっせい)の門に入り、わずか十八才で同寺の法灯を継ぐ。
宗学と歌道への造詣深く、三好吉房(秀吉の姉婿)、瑞竜院日秀(秀吉の実姉)、小早川秀秋(木下長嘯子(ちょうしょうし)の実弟)、加藤清正、小出秀政、その他京都町衆の帰依者多し。
文禄4年(1595)、秀吉建立にかかる東山方広寺大仏殿千僧供養の砌(みぎり)、上人は不受不施(ふじゅうふせ)の宗制を守って出仕に応ぜず、やがて本圀寺を出てこの地に隠栖し、常寂光寺を開創す。
当時歌人としても著名なりし上人に、歌枕の名勝小倉山に隠栖処として提供せし人は、角倉栄可(了以の従兄にして舅)と了以(りょうい)なり。その後慶長11年(1606)、了以の大堰川(おおいがわ)浚鑿(しゅんさく)工事の行われるや、上人は備前伊部(いんべ)の本圀寺末檀家たりし瀬戸内水軍の旗頭、来住(きす)一族に書状を送り、熟達せる舟夫の一団を招き、了以の事業を支援せり。これ即ち保津川下りの濫觴(らんしょう)なり。
上人は元和3年(1617)この地に遷化(せんげ)、時に五十七才なり。
苔衣(こけごろも)きて住みそめし小倉山松にぞ老いの身を知られける(にっしん)