名称 | 春日大社 |
住所 | 630-8212 奈良県奈良市春日野町160 |
拝観時間 | |
拝観料金 | |
URL | http://www.kasugataisha.or.jp/ |
春日大社は奈良に都が遷された今から1300年前、平城京鎮護のため、国譲りを達成された最強の武神である武甕槌命様(たけみかづちのみこと・鹿島神宮の御祭神)を神山御蓋山(みかさやま)の浮雲峰(うきぐものみね)に奉遷したのが始まりです。そして神護景雲2年(768)に御蓋山の中腹、現在御本殿が建つ場所に四棟の神殿が造営され、第一殿に武甕槌命様、第二殿に建国を支えた大功のある武神の経津主命様(ふつぬしのみこと香取神宮の御祭神)、第三殿に天照大神様が天岩戸にお隠れになった際、祝詞を奏してお出ましを願った司祭神で、最高の知恵を持つ天児屋根命様(あめのこやねのみこと・枚岡神社の御祭神)、第四殿に天児屋根命様の后神で愛に満ち、平安時代から江戸時代末まで天照大神様としても信仰されていた比売神様(ひめがみ)がお鎮まりになり春日大社は創建されました。
このように春日大社は、四柱の偉大な神様を神聖な御蓋山の麓にご一緒にお祀りすることから春日四所明神、そしてこの四柱の神様が御力を合わせられはじめて、世界の平和と日本の繁栄、そして国民の安寧をお守りくださる尊い御神威を現されることから春日皇大神様と称えられ多くの人々の崇敬をあつめてきました。そして平城京から長岡京に遷都されると、都の守護神として春日皇大神様をお祀りする大原野神社が、また平安京には同じように吉田神社が創建されるなど、全国各地に奉斎された三千社におよぶ春日の御分社、そして平安時代から奉納され続けられている境内の三千基もの燈籠は、春日皇大神様の厚い信仰の広がりを示しております。
そして今も昔も変わらず3月13日に行われる大宮の御祭で日本三大勅祭のひとつに数えられる春日祭。そして12月17日を中心に行われる若宮の御例祭である春日若宮おん祭を始め、毎日朝夕の御神事など、年間2200回にも及ぶ祭典が行われ、日本の国はもとより、世界の平和、万民の幸福、そして共存共栄が祈り続けられているのです。
◆由緒
今から1200年ほど昔の奈良時代、時の朝廷は各地方の氏族が信仰する神々を廃せず、天皇自らが宮中で共にお祭りを奉仕されるという世にも稀な方法で全国を統一なされました。相手を滅ぼさず、神々を共にお祀り申し上げる共生という姿で全国の共通の本当の神道と伝統を広め伝えられてこられたのです。
また、人口数十万の大都市平城京では水の確保が大きな問題となります。生物に生きる力を与え、全てのものを清める力をもった水は不可欠でありました。
当社第一殿の武甕槌命(たけみかづちのみこと)様と第二殿の経津主命様(ふつぬしのみこと)は共に、天照大神様の御子孫が高天原から天降りをなされるのに先立ち、大国主命様はじめ多くの神々と和平を結ぶ大功のあった尊い神々であり、関東の利根川のほとりの鹿島神宮と香取神宮に大変お力の強い神様として、また水を治める霊験あらたかな神様としてお祀りされていました。
第三殿の天児屋根命(あめのこやねのみこと)様は、天の岩戸にお籠もりになった天照大神様にお出ましを願うべく、お祭を行われた祭事・政治(まつりごと)の神様で河内国枚岡神社に比売神様と共にお祀りされ、西日本に広く信仰されていました。
この四柱の神々を神護景雲二年(768)ご託宣(おつげ)により最もふさわしい場所を選んでお祀りし奈良の都を治め、ひいては日本全国を治めようと初めて創建されたのがこの春日大社なのです。
また、平安時代には水を司るに絶大なる力を発揮される天押雲根命様を若宮神社にお祀りして五穀豊穣と大和国の安寧を祈りました。
以来、神様の気を枯らす様な行いをしないようにケガレを厳重に祓ってお祭を奉仕し、国中の平和を保つて、海川山野各地からとれる物を欠かすことなく心をこめてお供え致して日々日本の国はもとより、世界の平和と人類の幸福をお祈り申し上げております。