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西岸寺 (油懸地蔵)

名称 西岸寺
住所 612-8364 京都府京都市伏見区下油掛町898
拝観時間
拝観料金
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油懸山(あぶらかけざん)地蔵院西岸寺と号する浄土宗の寺で、天正18年(1590)雲海(うんかい)上人によって創建された。  地蔵堂には、俗に油懸地蔵と呼ばれる石仏の地蔵尊を安置している。
寺伝によれば、むかし山崎(乙訓郡)の油商人がこの地蔵尊に油を灌(そそ)いで供養し行商に出たところ、商売が大いに栄えたといわれ、以後、この地蔵尊に油をかけて祈願すれば願いが叶うといわれ、人々からの信仰を集めている。
境内には、「我衣(わがきぬ)にふしみの桃のしづくせよ 芭蕉」と自然石に刻まれた句碑がある。
これは、貞享2年(1685)当寺の第3世住職任口(にんく)(宝誉)上人を訪ねた芭蕉が、再会の喜びを当寺の伏見の名物であった桃にことよせて詠じたもので、碑は、文化2年(1805)に建設された。
なお、地蔵堂は、明治維新の鳥羽伏見の戦いで類焼したため、昭和53年(1978)に再建された。

◆由緒
浄土宗のお寺で、油懸山地蔵院西岸寺といいます。1590年(天正18年)雲海上人によって創建されました。通称「油懸地蔵」として有名で、町名の油掛町も「油懸地蔵」に由来します。

寺伝によれば、昔、乙訓郡山崎の油商人が当寺の門前で油桶を転がして油を流してしまい、諦めて残りの油を地蔵尊に注いで、そのまま立ち去ったのです。その後、商人は商運に恵まれ、大金持ちになったといいます。それ以来、願いごとがある人は油を注いで祈ると霊験があるといわれ、人々の信仰を集めました。

お地蔵さんは石の仏さまで、立ち姿が浮きでるように彫刻され、右手に錫杖、左手に宝珠を持っています。お顔が美しく、なで肩、大きな胸あきの彫法、錫の部分の大きく立派なことなどから、鎌倉時代の作といわれています。銘文が刻まれているようですが、昔から油を掛けて祈願され、油が2センチも厚く積もり、調べようがありません。

境内には、芭蕉が当寺三世任口上人を訪ねた折に詠んだ句の碑もあります。

京都府京都市伏見区下油掛町898

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