名称 | 化野念仏寺 |
住所 | 616-8436 京都府京都市右京区嵯峨鳥居本化野町17 |
拝観時間 | 9:00~16:30 (拝観時間は季節により変動) |
拝観料金 | 一般 団体割引 障害者 (30人以上) 割引 大人 500円 400円 無料 大学生 500円 400円 無料 高校生 400円 300円 無料 中学生 400円 300円 無料 小人 無料(但し保護者同伴) |
URL | http://www.nenbutsuji.jp/ |
華西山東漸院(かさいざんとうぜんいん)と号する浄土宗の寺である。
化野は古来より鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)とともに葬地として知られ、和歌では「化野の露」として人生の無常をあらわす枕詞(まくらことば)に使われている。
寺伝によれば当寺は空海が弘仁年間(810~824)に、小倉山寄りを金剛界、曼荼羅(まんだら)山寄りを胎蔵界と見立てて、千体の石仏を埋め、中間を流れる川(曼荼羅川)の河原に五智如来の石仏を立て、一宇を建立し、五智如来寺と称したのが始まりといわれている。
当初は真言宗であったが鎌倉時代の初期に法然の常念仏道場となり浄土宗に改められ、名も念仏寺と呼ばれるようになった。
正徳2年(1712)に黒田如水の外孫の寂道(じゃくどう)が再建したといわれている本堂には、本尊の阿弥陀如来坐像を安置し、境内には西院(さい)の河原を現出した多数の石塔石仏が立ち並んでいる。
なお、毎年8月23、24日の両日には、これらの石塔石仏に灯を供える千灯供養が行われ、多くの参詣者で賑わう。
◆由緒
寺伝によれば、化野の地にお寺が建立されたのは、約千百年前、弘法大師が、五智山如来寺を開創され、野ざらしとなっていた遺骸を埋葬したと伝えられる。その後、法然上人の常念仏道場となり、現在、華西山東漸寺念仏寺と称し浄土宗に属する。本尊阿弥陀仏座像は湛慶の作、参道の釈迦・彌陀二尊の石仏と共に鎌倉彫刻の秀作とされている。現在の本堂は・庫裡は、正徳2年(1712)11月、岡山より来た寂道和尚によって中興されたものである。
境内にまつる八千体を数える石仏・石塔は往古あだし野一帯に葬られた人々のお墓である。何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだし野の山野に散乱埋没していた石仏を明治中期、地元の人々の協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえ配列安祀している。この無縁仏の霊にローソクをお供えする千灯供養は、地蔵盆の夕刻よりおこなわれ、光と闇と石仏が織りなす光景は浄土具現の感があり、多くの参詣がある。
石仏や石塔が、肩をよせ合う姿は空也上人の地蔵和讃に
これはこの世の事ならず死出の山路のすそのなるさいの河原の物語・・・
もどり児が河原の石をとりあつめもれにて廻向の塔をつむ
一重つんでは父の為二重つんでは母の為・・・
とあるように、嬰児が一つ二つと石を積み上げた河原の有様を想わせる事から西院の河原という。
あだし野は化野と記す。「あだし」とは、はかない、むなしいとの意で、又「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化る事や、極楽浄土に往生する願いなどを意図している。この地は古来より葬送の地で、初めは風葬であったが、後世土葬となり人々が石仏を奉り、永遠の別離を悲しんだ所である。
兼好法師の徒然草に
あだし野の露消ゆる時なく鳥部山の烟立ちさらでのみ住果つる習ならば如何に物の哀もなからん世は定めなきこそいみじけれ
としるされ、
式子内親王は、
暮るる間も
待つべき世かはあだし野の
松風の露に嵐たつなり
と歌い、
西行法師も
誰とても
留るべきかはあだし野の
草の葉毎にすがる白露
と人の命のはかなさを詠んでいる。
竹林と多聞塀を背景に茅屋根の小さなお堂は、この世の光はもとより母親の顔すら見ることもなく露と消えた「みず子」の霊を供養するみず子地蔵尊で、毎月お地蔵様の縁日には、本堂にみず子地蔵尊画像をおまつりする。
[千灯供養]
毎年八月二十三日、二十四日の地蔵盆の夕刻、境内にまつられた多くの無縁仏にろうそくをお供えする行事です。平安から鎌倉時代にかけ、繰り返された戦乱や疫病で、人の命ははかなく、この地は東の鳥部野、北の蓮台野と共に、西の化野(あだしの)として風葬の地であったと云われています。
人々によって、死者の供養の為に少しずつ石仏がまつられましたが、時代の変化に伴い地中に埋もれていったとされています。
一帯に埋没、散乱した石仏は明治時代中頃に境内に集められ、現在の姿にまつられました。以後、信者の方々や地元の人々の協力により、供養として蝋燭が供えられたことが千灯供養の始まりといわれています。
これら多くの石仏は、今でこそ無縁仏となっていますが、時代を遡っていけば、私達のご先祖様もいらっしゃるかもしれません。そういう意味では決して私達とは無縁ではないのです。先に述べた化野の歴史的背景において、長い時代を経て再びおまつりされた石仏に、きっと何かのご縁があるものと思ってろうそくをお供えください。