名称 | 宝積寺 |
住所 | 618-0071 京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字銭原1 |
拝観時間 | |
拝観料金 | |
URL |
養老7年(723)11月23日、龍神が唐土より万宝第一(何事も叶う)の打出と小槌を我国に伝来されました。神亀元年(724)、聖武天皇は行基菩薩に勅命され寶積寺を建立し、打出と小槌を奉納されました。
しばらくして御本尊大黒天神を印度よりお招きし、お祭り申し上げました。以来、財福・繁栄・増進の神様と崇められ詣されております。
当寺は、木津川・宇治川・桂川の三川合流を望む天王山中腹にあり、その昔大洪水で橋が流出し民衆が途方にくれていたとき、どこからともなく一人の翁が現れ、水面を自由に歩き、見事橋を復元されました。その翁は山に登り、当寺本堂のお厨子に入られました。
以来、本尊の十一面観世音菩薩が翁に化身され、橋をかけられたと評判がたち、橋架観音(はしかけ観音)と呼ばれるようになりました。
天正10年(1582)の山崎の合戦、元治元年(1864)の蛤御門の変に於いて、当寺へ陣地となり戦禍を蒙り、伽藍は一時荒廃しましたが、歴史の重要な舞台ともなり、どの時代にあっても現世利益の信仰はすたれることなく、今日もなお興隆の一途を歩んでおります。
京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字銭原1