名称 | 談山神社 |
住所 | 633-0032 奈良県桜井市多武峰319 |
拝観時間 | |
拝観料金 | |
URL | http://www3.pref.nara.jp/kankou/1157.htm |
舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。
たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、大織冠(たいしょくかん)を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りました。
藤原の姓はここに始まります。鎌足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立した。
大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。
◆由緒
大化改新発祥之地 大和国多武峯鎮座
御祭神 藤原鎌足公
藤原鎌足公は、推古天皇二十二年(613)、中臣御食子卿の長子として大和国高市郡大原に生誕され、幼名を鎌子と称した。中臣氏の祖は天児屋根命にて、代々神事を司どる家柄であり、公はその二十二代孫に当られる。
公は至誠一貫朝廷に仕え、皇極天皇の御代には中大兄皇子(後の天智天皇)と共に当神社本殿裏山の談山に於て国家革新の大業を計り、ついに大化元年(645)「大化改新」を成しとげられ、更に近江大津遷都などの国家事業に尽くし、わが国の隆昌と安泰の為に偉大な功績をのこされた。天智天皇八年(669)内大臣に任ぜられ藤原の姓を賜り人臣最高の位大織冠を授けられ、同年十月十六日薨ぜられた。白鳳七年(679)、公の長子定恵は、この多武峯の山頂に父の墓を造り、十三重塔を建て父の御霊を弔った。のちに大宝元年(701)、方三丈の神殿を建立し、御神像を奉安したのが当神社の創祀である。当神社は古来国家鎮護の神、子孫繁栄の神また全国藤氏一族総氏神として朝野野尊崇をうけ現代に至っている。