名称 | 古知谷阿弥陀寺 |
住所 | 601-1235 京都府京都市左京区大原古知平町83 |
拝観時間 | 9:00~16:00 |
拝観料金 | 一般 大人 400円 大学生 400円 高校生 400円 中学生 400円 小人 無料 団体割引無し |
URL |
1609年(慶長14)木喰上人弾誓が開創した如法念仏道場。浄土宗。
本堂(開山堂)に安置する本尊弾誓上人像は、上人が自ら刻んだといい、自分の髪を植えたので「植髪の像」と呼ばれ、安産守護の信仰を集める。
阿弥陀如来坐像は重文。宝物殿に上人の遺品、皇室関係の品を陳列。
建立:1609(慶長14)年
古知谷光明山と号する浄土宗の寺である。
慶長14年(1609)弾誓上人によって創建された如法念仏の道場である。上人は尾張国(愛知県)に生まれ、九歳で出家し、諸国行脚ののち、当地に一宇を建立し、慶長18年(1613)62歳で没した。
上人の遺骸は、石棺に納められ、今も本堂の奥の開山窟に安置されている。
本堂には、阿弥陀如来座像及び植髪の像と呼ばれ上人自作の像を安置し、宝物館には、上人の所持品及び大聖寺、有栖川、閑院などの各宮家より賜った貴重な品々を展示している。
書院背後の湧水は、御杖水と呼ばれている。
また、山上には、禅公窟と呼ばれている石窟があり、これは、弾誓上人の行跡を慕って来山した澄弾上人が参禅したところと伝えられている。
◆由緒
光明山法国院阿弥陀寺は、慶長14年(1609)3月、弾誓上人が開基なされた妙法念佛の道場です。
弾誓上人は、尾張国海辺村に生まれた方ですが9歳の折りに自ら出家し、美濃国塚尾の観音堂に参籠し、さらに同国武芸の山奥において念佛三昧、20余年の修行を積みました。その後、諸国行脚で各地を回って苦行修練を重ねた末、ついに佐渡ケ島の檀特山において生身の阿弥陀佛を拝し得ました。そして、そこで授かったのが他力念佛の深義と、帰命十方西清王法国光明満正弾誓阿弥陀佛という尊号です。
その後、上人は信濃国の唐沢山および相模国塔ノ峰において法益をすすめていましたが、ようやく時節が到来して、最後の修行の地、古知谷へ赴きました。
古知谷に入った上人は、山中深く分け入り、岩穴に住し念佛三昧の日々を送っておりましたが近江国伊香立村の人達との御縁で、この地に一寺を建立し、本尊佛としては、上人が求め続けた人間としての理想像を草刈り鎌にて刻み、自身の頭髪を植え、これを本尊として本堂に安置し、寺の名を「光明山 法国院 阿弥陀寺」と付けました。
弾誓上人は、この阿弥陀寺に在住して4年後の慶長18年(1613)5月23日正午、62歳で入定示寂なされました。
この弾誓上人におくれること100年、近江国平子山にあって念佛三昧を続けていた澄禅上人は、弾誓上人の行跡を慕って当山に入り、本坊から4町ほど上の岩穴にて常坐不臥称名念佛すること5年の後、享保6年(1721)2月4日に入定されました。
時に70歳。
◆阿弥陀寺の四季
往時とは異なり、6町(約654m)下の若狭街道を終日自動車の往来が激しい今日ですが、しかし当寺領内は、開山上人が独坐幽棲の地として選ばれた当時の霊域の趣をそこなってはいません。
亭々とそびえる老樹が全山を覆っていますが、ことに当寺の紅葉は有名で、高尾、嵐山などと紅葉の名所は京都に多いのですが、ここ洛北に秋を告げてくれるのは、古知谷阿弥陀寺の紅葉の名木です。
参道南側にある天然記念物(樹齢800年)の老木を中心に、三百近いカエデが江戸時代から古知谷の秋を彩っています。
冬になると、葉の落ちた小枝に雪が降り積もり、その情景は別世界の趣がありますが、参拝するには少し厳しいものがあります。
春、4月下旬頃より芽を吹き出した新緑のすがすがしさを求めて、拝観の人達も少しずつ登ってこられますが、当寺の静寂さは失われることはありません。