名称 | 唐招提寺 |
住所 | 630-8032 奈良県奈良市五条町13-46 |
拝観時間 | |
拝観料金 | |
URL | http://www3.pref.nara.jp/kankou/1095.htm |
静かな寺、澄みきった寺―それが唐招提寺である。堂々として雄偉な立たずまいながら、磨き上げられた神経の香ぐわしさがにじみ込んでいる。しかも天平から貞観時代へと、8~9世紀の日本文化が歩んでいった美術史の本街道に位いして、もろもろのすぐれた芸術品を遺し、さながら儼たる古典美の殿堂である はるかに滄波をしのいで「天平の要請」に応じた鑑真大和上の大きい足音を今も新しく聞くような古刹 奈良市五条町もとの平城右京五条二坊の地、律宗総本山古くは建初律寺ともいったけだし本邦最初の律院の謂である。
◆鑑真大和上と唐招提寺
鑑真和上は688年に中国揚州で誕生、21歳で長安実際寺の戒壇で弘景律師に授戒を受けたのち、揚州大明寺で広く戒律を講義し、長安・洛陽に並ぶ者のない律匠と称せられました。742年に日本からの熱心な招きに応じ渡日を決意されましたが、当時の航海は極めて難しいもので、鑑真和上は五度の失敗を重ね盲目の身となられました。しかし、和上の意志は固く、753年12月、六度目の航海で遂に来朝を果たされました。翌年和上は東大寺大仏殿の前に戒壇を築き、聖武太上天皇をはじめ四百余人の僧俗に戒を授けました。758年大和上の称号を賜りました。あわせて右京五条二坊の地、新田部親王の旧宅地を賜り、天平宝字3年(759)8月戒律の専修道場を創建されました。これが現在の律宗総本山唐招提寺のはじまりです。
◆金堂(国宝 奈良時代)
南大門を入り参道の玉砂利を踏みしめて進むと、誰もが眼前に迫る金堂の威容に圧倒されます。豊かな量感と簡素な美しさを兼ね備えた天平様式、正面に並ぶ八本のエンタシス列柱の吹き放ちは、遠くギリシャの神殿建築技法がシルクロードを越え、日本まで伝来したかのように感じさせます。会津八一は「大寺のまろき柱の月かげを土に踏みつつものをこそ思え」と詠み、井上靖は和上の生涯を「天平の甍」と題した小説に書き、その名を世に広めました。内陣には像高三メートルに及ぶ盧舎那仏を中央に巨大な三尊「乾漆造・国宝」が居並び、厳粛な空間を生み出しています。本尊・盧舎利仏坐像(大仏)は宇宙の中心、釈迦の本地仏として中尊に、その東方に現世の苦悩を救済する薬師如来立像、西方に理想の未来へ導く十一面千手観世音菩薩立像が配されています。本尊の脇士には等身の梵天・帝釈天立像{木造・国宝}が従い、須弥壇四隅には四天王立像{木造・国宝}が諸尊を守護しています。創建以来の天平金堂と、内陣の九尊が織りなす曼荼羅世界は、参拝者を魅了するでしょう。
◆講堂(国宝 奈良時代)
講堂は、和上が当寺を開創するにあたり平城宮東朝集殿を朝廷より賜り移築したもので、平城宮唯一の宮殿建築の遺構です。本尊弥勒如来坐像(鎌倉時代・木造・重要文化財)は釈迦牟尼仏の後継で、将来必ず如来として出現し法を説くとされます。そのため通常は菩薩像ですが、本像は如来像として表現され、金堂の三尊と合わせて顕教四仏となる古式で配列されています。持国・増長の二天(奈良時代・重要文化財)も講堂内部にともに配されます。
◆鼓楼(国宝 鎌倉時代)
瀟洒な重層な建物で、本来は経楼とみられますが、鎌倉時代に再建されたのち鼓楼と呼称されたようです。一階に和上将来の三千粒の仏舎利を安置しているところから「舎利殿」とも称されます。毎年五月十九日には、鎌倉時代戒律を復興した大悲菩薩覚盛上人の中興忌が行われ、法要後、楼上からハート型の宝扇がまかれます。この鼓楼と対をなす建造物として鐘楼があり、当初の建物は残っていませんが、梵鐘(重要文化財)は平安初期の数少ない遺例で大変貴重です。
◆礼堂・東室(重要文化財 鎌倉時代)
南北に長い建物で、従来は僧侶の起居した僧坊でした。講堂を中心に西と北にもそれぞれ建物があり、三面僧坊と呼ばれていましたが礼堂・東室のみが現存しています。中央の馬道と呼ばれる通路で南北に分けられ、南半分の礼堂は解脱上人貞慶が始修された「釈迦念仏会」の会場に改められました。この法要では和上将来の仏舎利・金亀舎利塔(国宝)が本尊として礼拝されていますが、平素は清凉寺式釈迦如来立像(鎌倉時代・重要文化財)が安置されています。
◆宝蔵・経蔵(国宝 奈良時代)
礼堂の東側に並んで建つ校倉様式の建物で、北に位置し一回り大きいほうが宝蔵です。南にある小さいほうの経蔵は、唐招提寺が創建される前にあった新田部親王邸の米倉を改造したものといわれ、日本最古の校倉です。
◆御影堂(重要文化財 江戸時代)
もと興福寺別当一乗院の宸殿と殿上の遺構で、昭和38年(1963)に移築復元して鑑真和上坐像(国宝)を納め御影堂としたものです。昭和50年には東山魁夷画伯による障壁画が揮毫奉献され、和上の像を奉安静寂な宸殿に、一層の荘厳さをもたらしました。毎年六月六日の開山忌舎利会の際、前後3日間だけ御影堂内が公開され、鑑真和上像を参拝することができる。