名称 | 岡寺 |
住所 | 634-0111 奈良県高市郡明日香村岡806 岡寺 |
拝観時間 | |
拝観料金 | |
URL | http://www3.pref.nara.jp/kankou/1146.htm |
天智2年天智天皇の建立勅願寺なり。
大唐の稽首薫閻浮檀金、尺二、六臂の観音を鋳し参ず。春日は尊像を御胸に蔵せる丈六の大像を、三国霊場の土を以てし、開基義淵大僧正開眼す、又孝謙帝の勅諚により道鏡法師七堂伽藍を成就す。
本尊 如意輪観世音菩薩
西国三十三所 第七番札所 岡寺 御詠歌
けさ見れば つゆ岡寺の 庭の苔 さながら瑠璃の 光なりけり
◆創建の伝説と義淵僧正
633年(天智天皇2年)、草壁皇子のお住みになっていた岡の宮を仏教道場に改め、当時の仏教の指導者であった義淵僧正に下賜され、創建千三百有余年の歴史を持っている。
このため本尊や義淵僧正像など国宝、重文七件ほか多数の宝物がある。
義淵僧正は奈良東大寺の基を開いた良弁僧正や菩薩と仰がれた行基、その他奈良時代の仏教を興隆した多くの先駆者の師として知らている。
また「扶桑略記」(平安時代の史書)によると、義淵僧正の父母は子宝を観音に祈った。その結果生まれたのが義淵。この有り難い話を聞かれた天智天皇は岡の宮で義淵を草壁皇子と共にお育てになった。
◆厄除け信仰と龍蓋寺
義淵僧正は優れた法力の持主でもあった。
そのころ、この寺の近くに農地を荒らす悪龍がいた。義淵僧正はその悪龍を法力によって小池に封じ込め、大石で蓋(ふた)をした。この伝説が岡寺の正式名称「龍蓋寺」の原点になっており、本堂前に「龍蓋池」が今もある。
こうした伝説は「災いを取り除く」信仰に発展、密教の普及と共に鎌倉時代には「二月(現在三月)初午の日に必ず岡寺に参詣した」という「水鏡」の記録もあるほどで、それまでの観音信仰に厄除け信仰が加わり、日本最初の厄除け霊場が形成された。
◆西国札所と岡寺(龍蓋寺)
観音さまの御名を呼べば観音さまは三十三の化身により衆上を救済されるとの信仰をもとに、西国三十三所観音霊場巡りが盛んになってから約一千年の歴史がある。
岡寺はその前から観音霊場として栄え、創建以来「熱祷千三百有余年」、常に大衆の幸せを願ってきた。本日はお参りありがとうございました。