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立本寺

名称 立本寺
住所 602-8345 京都府京都市上京区七本松仁和寺街道上一番107
拝観時間 9:00~16:30
拝観料金 600円
URL http://honzan-ryuhonji.com/

日蓮宗本山。1321年(元亨元)日像が京都最初の道場として四条大宮に開いた妙顕寺龍華院を始まりとする。
1413年(応永20)比叡山の衆徒に破却されるが立本寺として再興、その後後水尾天皇のより「園林堂(客殿)」を賜る程の名刹となった。以後何度か場所を変えるが、宝永の大火(1708年・宝永5)で類焼した後、現在地に移った。広大な境内を有し、明治維新前は20に及ぶ塔頭を擁し、現在でも4ヶ寺の塔頭が残る。本尊は十界曼陀羅。
本堂・刹堂(鬼子母神堂)・客殿(園林堂)・鐘楼・山門(総門)は京都市指定有形文化財。
西から南へ広がる庭園は1850年(嘉永3)頃に造営されたもので、京都市の指定名勝になっている。
境内墓地には吉野太夫を見受けした灰屋紹益や石田三成の軍師、島左近らの墓がある。
安産・子育て守護で有名な子安鬼子母神のご開帳は毎月8日2時より。また毎年4月8日には花まつり、11月8日にはお会式の法要がある。
本堂の日蓮上人座像には兜の御影の伝説が、刹堂に祀られる日審上人には幽霊子育て飴の伝説が伝えられている。
京都国立博に寄託の法華経宝塔曼荼羅の完全レプリカを客殿で常設展示。

◆由緒
立本寺(りゅうほんじ)は日蓮宗の本山で、具足山(ぐそくざん)と号する。創建については二説あって定かでないが、中世には寺地を転々とし、さらに宝永5年(1708)の大火で本堂以下を焼失したのちに今出川寺町より現在地へ移転してきた。

本堂は、現在地へ移ってからもすぐには再建されず、上棟したのは寛保3年(1743)であった。平面は、近世における日蓮宗七間堂の典型的な構成であるのに対して、立面構成では全体に装飾が多く、また変化に富んだ空間構成となっている点に時代的特徴がみられる。

刹堂(せつどう)は、日蓮宗の守護神である鬼子母神(きしぼじん)と十羅刹女(じゅうらせつにょ)を本尊とし、鬼子母神堂とも呼ばれる。享保4年(1719)に再建されたが、天明3年(1783)に再び焼失し、その後文化8年(1811)に再建されたのが現在の建物である。小規模ながら、日蓮宗本堂の平面構成を踏襲した本格的なつくりである。

客殿は、享保十三年に上棟され、六間取(むまどり)方丈形式の平面を基本とするが、仏間が背面に張り出されている。こうした例は、日蓮宗客殿においては早い方に属する。

当寺にはこのほか、鐘楼(寛文年中・1661~1673)、表門(安永7年・1778)も残り、近世中期における日蓮宗本山の寺観をよく伝えている。

京都府京都市上京区一番107

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