名称 | 鞍馬寺 |
住所 | 601-1111 京都府京都市左京区鞍馬本町1074 |
拝観時間 | 9:00~16:30 |
拝観料金 | 一般 高校生以上 300円 中学生以下 無料 障害者本人は無料 |
URL | http://www.kuramadera.or.jp/ |
奈良唐招提寺(とうしょうだいじ)の開山鑑真和上(がんじんわじょう)の高弟で、慈悲の権化といわれた鑑禎上人が、宝亀元年(770)正月4日に、白馬(あおうま)が鞍を置いて雲中にあるかのようなたたずまいを、この山容に感じて霊地と定め、さらに毘沙門天を感得してその姿をまつったのがこの寺のはじまりである。
延暦15年(796)桓武天皇は藤原伊勢人(いせんと)に命じて皇城鎮護の道場としての伽藍を造営させた。
豊臣・徳川両氏もまた当山を保護したが、度々の火災にあい、往時の寺観を見るべくもない。しかし、近年大いに復興されて鞍馬弘教の中心として広く信仰を集めている。
山中にいたるところに名勝古跡があり、源義経にゆかりの涙の滝や背くらべ石などの伝説に富んだ古跡をたずねるのも興味深く、魔王殿や貴船へくだる山道はなお往時をしのぶに充分である。
仁王門より山上への坂道は、枕草子に記された「つづら折」の名で親しまれている。
鞍馬寺は鞍馬弘教の総本山で、宇宙の大霊(尊天)を本尊とする信仰の道場であり、山内一帯は尊天より活力をいただくべく心浄かに祈りを捧げる浄域である。
宝亀元年(770)に鑑真和上の高弟鑑禎上人が毘沙門天を祀る草庵を結び、延暦十五年(796)には藤原伊勢人が王城鎮護の寺として伽藍を建立、爾来、衆庶の信仰を集めて来た。
豊かに恵まれた大自然の中に、牛若丸ゆかりの地や「九十九折」など名勝古蹟が散在し「初寅大祭」「竹伐り会式」など年中行事も多く四季を通じて訪れる人々の心にやすらぎを与えている。
◆鞍馬山について
鞍馬山は、毎日を明るく正しく元気よく積極的に生き抜くための活力を、本尊である尊天からいただくための道場である。本来、いつでもどこでも存在する尊天の活力が、特にこの鞍馬山には満ち満ちているからである。
尊天とは、「宇宙の大霊であり大光明、大活動体」であり、私たち人間をはじめ万物を生かし存在させてくださる宇宙生命・宇宙エネルギーであってそのはたらきは愛と光と力となって現れる。
愛を月輪の精霊-千手観世音菩薩、光を太陽の精霊-昆沙門天王、力を大地の霊王-護法魔王尊のお姿をあらわし、この三身を一体として「尊天」と称するのである。
「月のように美しく、太陽のように暖かく、大地のように力強く」と祈り「すべては尊天にてまします」とお唱えするのである。
鞍馬山の信仰は、尊天を信じ、ひとりひとりが尊天の世界に近づき、ついには尊天と合一するために、自分の霊性にめざめ自分に与えられた生命を輝かせながら、明るく正しく力強く生きてゆくことにある。
宗派にも人種にも国境にもこだわることなく、ひとりひとりの真のめざめと、共に生かされている万物の調和を祈るのである。また「生活即信仰」を合い言葉に、「非行悪言を慎み、己を完成する。真実誠心を以て、世に尽くす人となる。
尊天より御力を戴きて、強き信念に生きる」という「信仰の三カ条」を指針とし、このような生き方をする人が増えて、ろうそくの灯が周囲を明るく照らすように、世界中が明るく豊かになることを理想とする。
約二億六千万年前、海底火山の隆起によおて生まれた鞍馬山には、太古より尊天の霊気が満ちあふれており、鞍馬寺が歴史に登場するのは宝亀元年(770)のこと・・・寺伝によれば、この年鑑真和上の高弟・鑑禎上人によって昆沙門天がまつられた。
そののち延暦15年(796)に造東寺長官の藤原伊勢人が堂塔伽藍を建立し、千手観世音も合わせてまつられた。かくて、皇室、幕府から庶民に至るまで幅広い信仰を集めてきたが、昭和22年に鞍馬弘教が立教開宗されて、鞍馬寺はその総本山となり今日に至っている。
◆由緒
奈良、唐招提寺の開山鑑真和上の高弟、鑑禎(がんちょう)上人が、宝亀(ほうき)元年(770)、鞍を負った白馬の導きで当山に至り、毘沙門天を感得して草庵を結んだのが始まりである。
延暦(えんりゃく)15年(796)には、藤原伊勢人(ふじわらいせんど)が王城鎮護の道場として伽藍を造営し、爾来、衆庶の信仰を集めてきた。
現在は鞍馬弘教の総本山であり、宇宙の大霊・尊天を本尊とする信仰の浄域である。
山の精霊である天狗が住む山としても有名で、貴船へと続く参道には、豊かな大自然の中に、牛若丸(源義経)ゆかりの「息次ぎの水」や「背比べ石」、枕草子に記された「九十九折り」などの名勝古跡が散在し、多くの文学作品にも登場する。
「初寅大祭」や「竹伐り会式」など由緒ある年中行事も多く、春の花に始まり、夏は全山緑に包まれ、秋は紅葉の彩り、冬は雪景色と四季折々の風情ある佇まいは、訪れる人々の心に安らぎを与えている。
◆鞍馬山・僧正が谷の天狗
・僧正が谷は木の根道が続く奥の院の大杉権現、不動堂、魔王殿の辺り一帯をさす。この付近は古来から天狗が棲みつき出没、牛若丸(義経)はここで鞍馬の天狗をはじめ高雄・愛宕の天狗などから武芸を教わったと伝えられる。
・天狗は古くから山岳信仰とかかわりがあり、修験者が守護神として祀っていたが、中世以降山伏の堕落もあり天狗を妖怪や「魔」とみなす風潮も生まれるなど、時代とともに姿やイメージも変遷していった。本来の天狗とは、山に宿ると考えられる「精霊」で、姿をみせない神秘的存在であろう。
・鞍馬・比叡・愛宕・飯綱・白峯・大峯・大山・彦山など全国各地の霊山には天狗伝承があり、また大天狗・小天狗・鳥天狗・木の葉天狗などの階層もつけられているが、なかでもここ鞍馬山の大天狗は「僧正坊」と呼ばれ日本各地の天狗たちの総元締めとして、また僧正が谷は総本山ともいえる場所の一つとして語り継がれている。
◆謡曲「鞍馬天狗」と僧正ヶ谷
謡曲「鞍馬天狗」は、源義経幼時の武勇説話を現代物に脚色した曲である。
鞍馬山の東谷の僧が、西谷の花見の招きを受けて修行中の稚児平家の公達や牛若丸連れて出かけたが、見知らぬ山伏が来たので気を悪くして帰ってしまった。ただ一人残っている牛若丸の素性を知り憐れんだ山伏は諸所の花の名所を案内し「自分は大天狗である。平家討滅の望みの達せられるように兵法の秘伝を授けよう」といい、翌日からのはげしい修業の末、約束の如く兵法を授け再会を約して大天狗は立ち去ったという豪壮な物語である。
僧正ヶ谷は牛若丸が天狗僧正坊から武芸を習った処で、老杉高く聳(そび)え、巨根地を這って昼なお闇く神秘感をただよわせている。