You are here
Home > 神奈川 > 高徳院

高徳院

名称 高徳院
住所 神奈川県鎌倉市長谷4丁目2-28
拝観時間
拝観料金
URL

鎌倉大仏の名で親しまれている高徳院の本尊、国宝銅造阿弥陀如来坐像は、1252(建長4)年から10年前後の歳月をかけて造立されたとみられる。

制作には、僧浄光が勧進した浄財があてられたという。鋳工として丹治久友、大野五郎右衛門の名を記す史料もあるが、原型作者も含め、創建に関わる事情の多くは謎に包まれている。尊像を収めていた仏殿は、1334(建武元)年と1369(応安2)年に大風で損壊したらしい。15世紀以後、同仏殿が再建された形跡は認められない。


国宝鎌倉大仏
この大仏像は阿弥陀仏である。源頼朝の侍女であったといわれる稲多野局が発起し、僧浄光が勧進(資金集め)して造った。零細な民間の金銭を集積して成ったもので、国家や王侯が資金を出して作ったものではない。初めは木造で暦仁元年(1238)に着工し六年間で完成したが、宝治元年(1247)大風で倒れたので、再び資金を集め、建長四年(1252)に至って現在の青銅の像を鋳造し、大仏殿を造って安置した。原型作者は不明であるが、鋳工として大野五郎右ェ門や丹治久友の名が伝へられる。大仏殿は建武元年(1334)と慶安二年(1369)とに大風に倒れ、その都度復興したが、明應七年(1498)の海潮に流失以来は復興せず、露像として知られるに至った。大正12年(1923)の大震災には台座が崩れ 仏像は前に傾いたが倒れなかった。大正14年(1925)台座を補強し仏像を台座に固定せしめる耐震構造の修復がなされた。昭和35年、36年(1960~61)の修理では、前傾している頭部を支える頚部の力を、強化プラスチックで補強し、大正修理でなされた耐震構造を改め、大地震の際は、台座と佛体が離れる免震構造が施された。この強化プラスチックの利用と台座の免震構造は、日本の文化財としては最初のものである。

神奈川県鎌倉市長谷4丁目2-28

Similar Posts