名称 | 上善寺 |
住所 | 603-8139 京都府京都市北区上善寺門前町338 |
拝観時間 | 10:00~16:00 |
拝観料金 | 無料 |
URL |
千松山遍照院(せんしょうざんへんしょういん)と号する浄土宗の寺院である。
寺伝によれば、貞観5年(863)に、僧円仁により、天台密教の道場として、千本今出川(上京区)に創建されたと伝えられている。その後、文明年間(1469~87)に、春谷盛信(しゅんこくせいしん)によって再興され、後柏原天皇の勅願寺として栄え、文禄3年(1594)、寺域を現在の地に移し、浄土宗に改められた。
地蔵堂に安置する地蔵菩薩は、平安時代の初め、小野篁(おののたかむら)が一度息絶えて冥土へ行き、生身の地蔵尊を拝して蘇った後、一木から刻んだ六体の地蔵の一つと伝えられ、俗に、「深泥池地蔵」、又は、「鞍馬口地蔵」とも呼ばれている。
この地蔵は、当初、小幡の里に祀られていたが、保元年間(1156~59)に、洛北の御菩薩池(深泥池)の畔に祀られ、さらに当寺に移されたものといわれている。
毎年8月の22・23日の両日の京都六地蔵巡りには、多くの参拝者で賑う。
由緒
浄土宗。千松山遍照院と号す。貞観5年(863)円仁が天台密教の道場として創建したと伝え、文明年間(1469~1487)春谷盛信が天台真盛宗として再興、現在の寺号を定める。文禄3年(1594)千本今出川から現在地に移り、天台真盛宗から浄土宗へと改宗もする。
本尊としてお祀りしている阿弥陀仏坐像は寛永11年(1634)嵯峨今林蓮華清浄寺から移してきたものであり、行基作と伝えられる。地蔵堂には洛北の深泥池ほとりより移した深泥池地蔵が安置されており、京都六地蔵めぐり(8/22~8/23)の一つに数えられる。
境内には合わせて今出川家歴代の墓や禁門の変で戦死した長州藩士の首塚もある。
また、「二河白道の庭」をはじめ「釈迦八相の庭」「三笑の庭」「仏教伝来の庭(二祖対面の庭)」がある。