名称 | 金戒光明寺 |
住所 | 606-8331 京都府京都市左京区黒谷町121 |
拝観時間 | 9:00~16:00 |
拝観料金 | 秋に特別拝観(予定)あり 有料 |
URL | http://www.kurodani.jp/ |
紫雲山と号する浄土宗の大本山で、通称、黒谷(くろだに)の名で親しまれている。
寺伝によれば、承安五年(1175)、法然上人が浄土宗の確立のために、比叡山西塔の黒谷にならって、この地に庵を結んだのが当寺の起こりと伝えられている。
以後、浄土教の念仏道場として栄え、後光(ごこう)厳(ごん)天皇より「金戒」の二字を賜り、金戒光明寺と呼ばれるに至った。
また、正長元年(1428)、後小松天皇より、上人が浄土教の真実義を悟った由緒により「浄土真宗最初門」の勅願を賜った。
御影堂脇壇(みかげどうわきだん)には、京都七観音・洛陽三十三観音の一つ、吉田寺の旧本尊と伝えられる千手観音立像を安置している。
また、御廟には上人の分骨を納め、廟前には熊谷(くまがい)蓮生坊(れんせいぼう)(直實(なおざね))と平敦盛の供養塔二基が建てられている。
寺宝としては、山越(やまごえ)阿弥陀図・地獄極楽図等の屏風や法然上人直筆の一枚起請文など数多くの文化財を蔵し、墓地には、国学者山崎闇斎、茶人藤村庸軒(ふじむらようけん)、筝曲開祖八橋検校(やつはしけんぎょう)などの墓がある。
◆山門
この山門は、江戸幕府の命により文政11年(1828)再建にとりかかり万延元年(1860)12月に落慶されたものである。古くは当寺九世定玄上人の時代(1398~1415)応永年中に建立されたが応仁の乱にて兵火に罹り焼失し、約350年後に再建された。山門楼内壇上正面には等身座像の釈迦三尊(釈迦・文殊・普賢)と十六羅漢の像が安置されている。山門楼上の勅額「浄土真宗最初門」は、後小松天皇(在位1382~1412)のご宸翰(しんかん)で元祖法然上人が最初に浄土の教えの真実義を弘められた念仏発祥の地との意を賜ったものである。尚、東西本願寺・仏光寺などの宗派名を表わすものではありません。
◆御影堂(みえいどう)(大殿・だいでん)
紫雲山くろ谷金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は法然上人ゆかりの地。
内陣正面には法然上人75歳三昧発得のお姿をお祀りしています。以前の御影堂は昭和9年に火災にて全焼、すぐさま再建に取りかかり、京都大学名誉教授天沼俊一博士の設計にてお堂の中が明るく、音が響くように木の一本一本に付いても吟味され、昭和19年に落慶致しました。昭和時代の代表的な木造建築と言われています。
◆阿弥陀堂
当山の諸堂の中では一番古いお堂で、慶長十年(1605)豊臣秀頼公が再建。本尊は、恵心僧都源信の最終作と伝えられている阿弥陀様がお祀りされています。
本尊の名前由来は、恵心僧都源信が仏像彫刻に必要な「のみ」をお納めになって仏像彫刻を止められてと言うので「のみおさめの如来」又は「お止めの如来」とも言われています。
◆納骨堂(旧経蔵)
このお堂は、元は経蔵として元禄二年(1689)称悦法師が寄進建立した。中には中島重昌氏寄贈の黄色版一切経(2087冊)が納められていたが、東側にある観音堂(収蔵庫)に移設保管している。
現在、法然上人八百年遠忌(2011)記念事業の大修理によって、当山に納骨されたお骨で造立した阿弥陀如来「骨仏」を本尊とし、当山有縁の納骨者の霊を供養する「納骨堂」となった。
尚、堂内には法然上人二十五霊場のお砂を集めた霊場めぐり(お砂踏み)を安置し、堂内を右廻りに一巡すると二十五霊場を巡拝したのと同じ功徳を得ることができる。