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妙心寺

名称 妙心寺
住所 616-8035 京都府京都市右京区花園妙心寺町1
拝観時間 9:10~16:40 受付終了: 15:40(3~10月 16:40) 9:10~15:40(3~10月 9:10~16:40)
拝観料金 法堂・浴室の拝観料金(入山無料)    一般 団体割引(30人以上) 高校生以上 500円 450円   中学生 300円 270円   小人 100円 100円 *団体引率者無料*障害者、付添共無料
URL http://www.myoshinji.or.jp/

全国に3400の寺院を持つ臨済宗妙心寺派の大本山。
1337(建武4)年花園法皇が関山慧玄を招いて開山。
この地にあった法皇の離宮を禅寺に改めた。
応仁の乱で多くの堂塔を焼失したが、細川勝元・政元親子らの援助で再興。
その後、豊臣、徳川家をはじめ諸大名が帰依し、隆盛を極めた。南から三門、仏殿、法堂と重文の伽藍が一直線に、その周囲に46の塔頭が並ぶ。
大灯国師墨跡(国宝)をはじめ、仏像、絵画、障壁画、庭園など多くの文化財を所蔵。梵鐘(国宝)は最古の銘を持つ。
建立:開創1337(建武4)年 中興1432(永享4)年

正法山と号し、臨済宗妙心寺派の大本山である。深く禅に帰依された花園法皇が開山慧玄を開山とし離宮萩原殿を改めて寺とされたのが当寺の起りで、室町初期に一時中断し再興後応仁の乱で再び焼失したが、乱後雪江宗深が再建、弟子にも名僧が出て寺運はさかんとなり、塔頭が相次いで建てられ、地方へも当寺の勢力は発展した。

現在末寺3,500余、臨済宗各派中最大である。勅使門より北へ三門・仏殿・法堂・寝堂・大方丈が一直線に並び、その東側に浴室・浴室鐘楼・経蔵が並ぶ。室町後期から江戸初期の建築で、近世禅宗伽藍の最も完備した形を示している。

大方丈の二面の庭園は清楚な名園である。法堂内に収蔵されている鐘は黄鐘調の鐘といわれ、698年の作、我国最古の在銘鐘で、形・音色にすぐれている。

寺宝には当寺の歴史に関する多くの文化財を蔵する。また、塔頭は40余に達し、禅宗本山として堂々たる寺容をほこっている。

◆由緒
洛西、右京区花園、北には衣笠山などの美しい山々を望み、西には兼好法師ゆかりの双ケ丘、東南は開けて京の街々、遠く宇治、淀のあたりまで見わたす景勝の地、桓武天皇の遠い古へから、ここ花園の地はその名の如く、四季とりどりの花咲きにおう遊園の地であった。その一画に翠嵐ひときは濃かに、静寂さながらの聖地こそ、わが大本山妙心寺である。

いまその開創の古へをたずぬるに、花園天皇(1297~1348)いたくこの地の風光を愛でさせられ、離宮を営まれた。

天皇は仏教特に禅宗に深く帰依せられ、大徳寺の開山大燈国師の法嗣である関山慧玄を、美濃の伊深からお召しになり、離宮を改めて禅刹となされた。これが即ち正法山妙心寺の起りである。

かくて関山慧玄即ち妙心寺開山無相大師は、簡素溌刺たる禅風を以て、花園に法幢をかかげ、天下禅苑の冠と称せられるに到ったが、延文五年(1360)法嗣授翁に後事を托し入定された。第二世授翁宗弼は南朝の忠臣藤原藤房の後身ともいわれ、第三世無因宗因第四世日峰宗舜、第五世義天玄承、第六世雪江宗深と相承したが、雪江の門下に、景川、悟漢、特芳、東陽の四傑出で、龍泉、東海、露雲、聖澤の四派を生じ、門葉頓に栄えた。その後も逸材傑僧輩出して、関山禅の宗風、全国を風塵するに到り、大師の法孫で、時の朝廷より国師号を拝受したもの、禅師号を賜わったもの実に二六〇余、関係寺院全国に約三、五〇〇カ寺、僧侶約七千。教育機関としては、花園大学、花園高等学校、洛西花園幼稚園があり、禅専門の修行道場は二十一を数える。而して関山一流の禅風は遠く欧米の地にまで及んでいるのである。

本山諸堂伽藍の完備も、禅宗としては全国随一といわれ、七堂伽藍を中心に四十余の子院塔頭が、これを囲繞するさま、実に偉観であり荘厳である。また史跡名勝に指定された庭園、国宝、重要文化財の建造物、歴朝寝翰文書、絵画等の数もおびただしく、ここ花園妙心寺は現代禅の淵叢であると共に、一面わが国文化財の一大殿堂である。

◆法堂(重要文化財)
入母屋造重層本瓦葺の大建築、明暦2年(1656)の建造、住持の演法や重要な儀式の行われるところ。天井には狩野探幽法眼守信の大傑作雲龍の図がある。

◆大方丈(重要文化財)
入母屋造単層檜皮葺、承応3年(1654)の建造、方丈はもと住持の居所を意味したが、今は檀信徒の祖先を祀って、その供養を行う所、また説教、講演その他の会合の場所ともなり、多数賓客を応待するところともなる。本尊阿弥陀三尊はもと石清水八幡宮の奥の院に祀ってあったもので鎌倉時代の傑作である。襖の画は狩野探幽と狩野益信の筆である。

◆妙心寺鐘(国宝)
黄鐘調鐘ともいう。徒然草に「およそ鐘のこえは黄鐘調なるべし…浄金剛院の鐘の声また黄鐘調なり」とあるその鐘で、もと浄金剛院(廃寺)にあったもの、記年銘のあるものとしては日本最古で、文武天皇2年(698)の作である。その秀高なる形態流麗なる唐草文様まことに天下の名鐘の名に恥じない。

◆浴室(重要文化財)
三門の東側一に位置する浴室(明智風呂)は天正15年(1587)塔頭太嶺院(廃寺)の密宗和尚が、明智光秀の菩提を弔うために創建したものである。そののち明暦2年(1656)に改建された。一重切妻造本瓦葺、浴室内中央に浴槽と洗場があり、その南側に休息室が設けられてある。また東背面には竈室がある。

浴槽は蒸風呂形式で簀子板敷の隙間から蒸気を出し四壁は正面に出入口と調節窓をもち、他の三方は板壁で閉ざされている。入口正面には位牌棚があり、その中央に跋陀婆羅尊者画像(狩野宗信筆)が掲げられている。

◆妙心寺 三門
臨済宗妙心寺派大本山で、46の塔頭寺院をもつ京都最大の禅寺。建武4(1337)花園法皇が離宮を禅寺に改めたのが始まりである。約10万坪の境内に一直線に建ち並ぶ典型的な禅宗伽藍のなかでも、三門(重文)は、唯一鮮やかな朱塗りの建物。七堂伽藍を一望する楼上には、観音菩薩像や十六羅漢像が安置されており、天井には天女や飛龍、楽器などが色鮮やかに描かれ、柱や組物一面の絢爛たる彩色が美しい。

◆妙心寺法堂 雲龍図 狩野探幽筆
妙心寺の現在の法堂は、明暦2年(1656)に再建されたものである。その堂内の天井には周囲を霊雲でとりかこんだ円相内に、八方にらみの巨龍が描かれている。

禅宗の法堂の天井は、板が一面に張られた平たい天井に鏡天井ともいわれ、そこには必ず丸龍が描かれるならわしである。古来より龍は仏法を守護する瑞獣であるとされており、この雲龍は、上堂説法が行なわれ禅風が挙揚される。また、この法堂の空間を守る大切な役目を果たしているのである。

京都府京都市右京区花園妙心寺町1

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