報国寺

報国寺は、建武元年(1334)に創建された、臨済宗・建長寺派の禅宗寺院です。開山は天岸慧広(仏乗禅師)、開基は足利家時(足利尊氏の祖父)です。 本尊は釈迦如来坐像(市指定文化財)で、仏帥宅間法眼作と伝えられています。 他に開山仏乗禅師像(市指定文化財)1347年作や迦葉尊者像などを御堂に安置し、さらに、開山の著書「東帰集」(国指定重要文化財)や、開山使用の木印(国指定重要文化財)や、聖観世音菩薩像は、鎌念国宝館に保管されています。 休耕庵という塔頭の跡に孟宗竹が生え現在の「竹の庭」になりました。

浄妙寺

当寺は稲荷山と号し、鎌倉五山第五位の寺格をもつ臨済宗建長寺派の古刹である。源頼朝の忠臣で豪勇の士であった足利義兼(1199没)が文治四年(1188)に創建し、初め極楽寺と称した。 開山は退耕行勇(たいこうぎょうゆう)律師で当初は密教系の寺院であったが、建長寺開山蘭溪道隆(らんけいどうりゅう)の弟子月峯了然(げっぽうりょうねん)が住職となってから禅刹に改め、ついで寺名も浄妙寺と称した。 寺名を改称したのは正嘉年間(1257~59)とみられる。歴代の住持には約翁徳倹(やくおうとくけん)・高峰顕日(こうほうけんにち)・竺仙梵僊(じくせんぼんせん)・天岸慧広(てんがんえこう)など名僧が多い。 中興開基は足利尊氏の父貞氏(さだうじ)で、没後当寺に葬られた。至徳三年(1386)足利義満が五山の制を定めた頃は七堂伽藍が完備し、塔頭二十三院を数えたが、火災などのため漸次衰退し、現在は総門・本堂・客殿・庫裡などで伽藍を形成している。 ◆開山略伝 行勇律師(1163~1241)は相模国酒匂(さかわ)(小田原市)の人で初名は玄信、荘厳房(しょうごんぼう)と称した。幼くして薙髪(ちはつ)出家し、真言密教を学んだ。養和元年(1181)には鶴岡八幡宮寺の供僧となり、ついで永福寺・大慈寺の別当にも任じ、文治四年(1188)足利義兼が当山を建立すると開山に迎えられた。正治元年(1199)栄西が鎌倉に下向すると、その門に入って臨済宗を修め、栄西没後は寿福寺二世に任じている。頼朝や政子に信任されて戒を授ける一方、「所住の寺、海衆満堂」といわれるほど信望され、実朝もあつく帰依した。仁治二年七月、東勝寺で没した。 ◆庭園 天正年間(1500年代)僧が一同に茶を喫した喜泉庵があった。 平成三年復興、開席、庭園は杉苔を主とした枯山水である。喜泉庵で抹茶を喫することができる。 ◆墳墓・旧蹟 本堂うらの墓地に足利貞氏の墓(鎌倉市文化財)がある。『新編相模国風土記稿』に「元弘元年九月五日讃岐守貞氏卒しければ茶毘して当寺に塔を建つ」とあり、古くから、当寺中興開基貞氏の墓塔と伝えてきた。貞氏(1331没)は家時の子で尊氏の父。塔には明徳三年(1392)の銘がある。 熊野社は当寺の鎮守で、もと浄明寺地区の村杜。祭神は素蓋鳴尊。例祭は九月十七日である。境内には尊氏の兄高直が建立した延福寺や直義創建の大休寺などもあったが、いまは廃された。

九品寺

九品とは、九種類の往生のありさまのことをいいます。、極楽往生を願う人の生前の行いによって定められ。上品・中品・下品のそれぞれに、上生・中生・下生があり合わせて九品とされます。 鎌倉攻めの総大将であった新田義貞が、鎌倉幕府滅亡後に敵方であった北条氏の戦死者を供養するために、材木座に建立しました。 山門の「内裏山」、本堂の「九品寺」の文字は、新田義貞の筆を写したものといわれます。本尊は阿弥陀三尊です。