専定寺(烏寺)

1200年の初期に専定法師開創。寺伝では、専定という僧が木陰で休んでいると、松の枝で二羽の烏が「きょうは熊谷蓮生坊が極楽往生する日」と話すので、みると、烏は熊野権現の姿に変わって飛び去り、同時刻に蓮生坊は死んだという。これに因んで烏寺の別称が生まれた。 浄土宗西山禅林寺派。(非公開) 建立:1200(寛文6)年 御本尊御白河上皇の念持佛である。

泰産寺

清水寺の本堂から錦雲渓をへだてた丘の上にある。総丹塗り、桧皮葺の三重塔(重文)で江戸時代初めの再建。 清水寺の塔頭で泰産寺という寺名をもつ。塔内には千手観音が安置されている。 寺伝では聖武天皇・光明皇后がこの観音に祈願され、孝謙天皇を安産されたので、その報恩のため建てられたという。後世、安産祈願の信仰が生まれ子安観音とあがめられる。塔前からの清水寺全景の眺望は素晴らしく、東山の光景になくてはならない塔でもある。

上善寺

天台真盛宗。863年(貞観5)慈恵により創建。多くの塔頭を擁したが度重なる火災に遭い、1483(文明15)盛信が中興の祖として再興している。1566(永禄9)柏原天皇の勅願所となり、1594(文禄3)鞍馬口へ移転するが、荒廃した旧地に元上善寺として再建されたのが当寺である(鞍馬口の上善寺はその後浄土宗に転じ現存)。 本尊、阿弥陀如来。大師堂に祀られる大黒天像は慈恵及び最澄の作と伝えられる。本堂裏の墓地には、「仮名手本忠臣蔵」に登場する早野勘平の妻お軽(おかじ)の墓がある。

報土寺

浄土宗知恩院派に属する寺である。 当寺は、貞観元年(859)、行教(ぎょうきょう)が真言宗の寺として創建したものと伝えられている。 その後、応仁の乱などにより堂宇は荒廃したが、永禄2年(1559)、選誉照阿(せんよしょうあ)により、浄土宗の寺院として、相国寺惣門の東南に再興された。  以後、浄土宗の念仏道場として栄え、寛文3年(1663)頃に、現在地に移転した。 表門と共に重要文化財に指定されている本堂は、桁行七間梁行六間、入母屋造の本瓦葺の建物で、寛永6年(1629)に建立され、寺地移転に際し、移築されたものである。 また、当寺が、所蔵する木造阿弥陀如来立像(重要文化財)は、正嘉2年(1258)7月12日の造像銘があり、もとは、近江(滋賀県)の八幡宮に祀られていたものと伝えられている。